本日は休養日

 毎日が休養日のようなものではあるのですが、本日は野暮用なく、ジムへと

行くこともなしでありましたので、移動距離は短くて、ほぼ引きこもり状態で

ありました。

 このような時には、本を読みましょうと、横になって「夕暮れに苺を植えて」

の文庫本を手にしていたのですが、何度か寝落ちでありまして、予定ではとっく

に読了しているはずでありましたが、まだページが残っておりまして、本日中に

読んでしまいましょう。

 ずいぶんと昔に読んだはずなのですが、ほとんど忘れておりまして、初めて

読むような気分であります。足立さんの本を読んでおりますと、ものを書くの

にその後ろにある調査の重要さを思い知らされます。

 「夕暮れに苺を植えて」は、足立さんが旧制中学で教えを受けて、大きく影

響された恩師の記録を没後にまとめるという話でありますが、恩師は若くして

昭和11年に亡くなり、足立さんの手によって遺稿集がまとまったのは、昭和50

年というのですから、なんともすごいことであります。まさに執念でありまし

て、それだけに自分が必要と思う調査は、必ずやりとげるのでありました。

たぶん、自分ではまだまだこれで充分とは思っていないでしょうが。

 不確かな恩師の経歴を追って宮城県へと行き、出身中学を突き止めるとか、

恩師の元同僚のところを訪ねて、往時の話を聞くところなどに、ほんと金にも

ならないのに、よくやることと思うことです。

 恩師の元同僚のところに訪ねるくだりを引用です。遺稿集の跋文をもらった

お礼の手紙を差し上げたあとに近々お伺いしたいと申し送ったのに続いてのと

こになります。

「それに対する返事は折返し届いたが、思わしいものでなかった。いまは記憶

も薄れてしまい、先日書き送った以上のことは何も話すことがないので、わざ

わざ神戸から千葉まで来てもらうまでもない・・大要そんな返事であった。

 ・・庄司先生は来訪を望まれないのかとも思えたが、わたしは思い切って押し

かけることにした。千葉駅についたのは、昭和46年4月はじめ正午前であった。」

 来訪は望まれないということの理由もなんとはなしにわかるのでありますが、

それでも是非に聞いておきたいという気持ちが、この押しかけるという行動に

つながっています。

 ここまでしなくてはいけないというのが、ものを書く人の覚悟でありますね。

 足立さんが「やちまた」を書き上げてから、続いて連載を始めたのが、この

作品でありまして連載開始は昭和48年とありました。本としてまとまったのは

昭和56年ですから、思い立ってから何十年もかかった仕事となります。

 この文庫本の巻末エッセイは田辺聖子さんでありまして、そこでは足立さんの

ことを「足立センセ」と呼んでいます。大阪文学学校で田辺さんは足立さんの

小説二組というクラスで学んだのだそうです。この田辺さんのエッセイもいいも

のです。