執念の美術館か

 本日の午前に放送があった「日曜美術館」は、大阪市で新しく開館した

中之島美術館」を取り上げていました。大阪には、戦前の日本を代表する

金持ちたちが残したコレクションがたくさんありまして、そのなかには所有家

が美術館を残したという例もあるのですが、大阪市に寄託されたり、寄付され

た美術品などのなかには、展示場所が定まらずで、すこし不幸な扱いのものが

ありましたです。

 なかでも佐伯祐三の大コレクションを含む山本發二郎収集品の美術館は、

大阪市民からも要望の強かったものです。もうずいぶんと昔から計画は進行

していたものですが、それが大阪に吹き荒れる政治団体の風により、市民の

希望は風前の灯火状態でありました。

 当方が、この山本コレクションが世界に誇る大阪の財産であると教えていた

だいたのは、このブログを通して親しくしていただいた吹田市にお住まいの福

永さんからでありました。 

 大阪市民のこれまでに集めた素晴らしい作品で美術館を作ろうという運動に

も参加されていたようで、当方のところにもお役所とのやり取りなどをお知らせ

いただいておりました。

 福永さんは、お役所は嫌いでありましたが、それ以上に橋下さんのグループ

を嫌っておりました。福永さん(仙台が親戚)さんからいただいた2015年8月の

メールを、以下にちょっと紹介です。

「 大阪市の担当者からメールがあり、二見彰一さんのコレクション寄贈は

あきらめ、展覧会をを開きたいようで、「佐伯祐三」を寄贈された方の

「古裂コレクション」の展覧会の入場券が送られてきましたので、担当者の

お名前に礼のメールを送ったところ、以前の担当者からメールが届来まして、

「何故、市美術館と言う愛想の無い名前、これでは天王寺にある市立美術館と

まぎわらしい、「近代美術館」に戻されるのが「穏当」だと思いますと返事を

差し上げて」とありました。

 これだけではわかりにくいのですが、美術館設立運動の応援団として自分の

版画コレクションを美術館設立の際には寄付することで、担当の方とやりとり

をしていたのですが、その後の橋下グループのやり方にカチンときて、それは

棚上げしたところで、2016年3月25日に急逝され、亡くなってはや6年であり

ます。

 福永さんは、美術館ができることを楽しみにされていて、それが形になる前に

亡くなられたのですが、このような難産なプロジェクトには、そういう人たち

がたくさんいるのでありましょう。

 それでもなんとか中之島美術館が開館にこぎつけて、これは大阪市民の執念

の美術館でありますね。