早熟な人たち

 図書館から借りている本を返却する日が近くなって、あわてて手にとっていま

す。それらの本の何冊かには、伝説的な早熟の逸話があることで、その方々は

子どもの頃に好きで好きでたまらなかったことを仕事にして、それを後年まで

ずっと続けていた(いる)ことになります。

 そのお一人は、皆川博子さんで何度も書きますが、このような方がいることを

ほとんど知らなかったのは、本当にお恥ずかしい限りであります。

皆川さんの書評・解説集成である「書物の森への招待」には、当方も架蔵して本

があるのですが、たぶん読んでいないのでありましょう。(情けなや)

  たとえば、皆川さんは次のように書いています。

「いまでも古本屋で時たま見かけるが、昭和の初期に平凡社から発行された

『現代大衆文学全集』というのがあった。・・

 活字は大きく、しかも総ルビなので、子供にもたやすく読める。私がその

全集を無我夢中で読みふけったのは、小学校の三年、四年のころだった。・・

 いずれも、読む者の心に妖しい毒を注ぎこむ物語群が、ずらり取り揃えられ

ていた。まして八つ九つの、いわば幼年期である。実際以上に、毒の刺激は

強かった。」

 こうして読んだなかには 乱歩の作品もあったということで、「パノラマ島

奇談」や「屋根裏の散歩者」などを読む小学校中学年というのは、成長したら

どうなるのかと思うことですが、立派に小説家となったのですね。

 その昔の本は、総ルビが振られていたこともあって、漢字が読めなくともルビ

に助けられて読むことができたとはいうものの、ルビは漢字を読めない大人の

ためのものでありまして、子供のためではなかったのですよ。

 谷崎作品にも早くに出会い過ぎたといっているのですが、「十になるやならず

の子供に『痴人の愛』が面白いわけはなく、惹かれたのは『少年』と『或る少年

の怯れ』でした。」とあります。

 ちなみに皆川博子さんは1930年生まれで、十歳といえば1940年で戦時体制に

入る頃にこうした小説を読み耽ける少国民もいたという貴重な記録であります。

 もうひとりの早熟さんは、「四歳の頃に描かれた絵物語や絵日記」を残して

いて、それを自著で公開しています。四歳の時でありますから、普通の人であれ

ば、絵なんていえるものはかくことは出来ないのですが、これが栴檀はふたば

なんですね。

 ということで、これが収録されていたのは、次のものでした。 

ISSUE 和田誠のたね

ISSUE 和田誠のたね

  • 作者:和田 誠
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  こういう方の仕事に同時代でふれることができたというのは、やはり幸運な

ことであったというしかありません。