ハッピーマンデーなのか振替休日なのか、さっぱりわかりませんが、本日は
お休みなのだそうです。祝日法でありますので、どのようにでも決めることが
できるはずですが、動かない日(動かせない日)、動く日(動かせる日)が
そこそこはっきりとしていて、それが今の国の形を示しているようです。
当方にとっての月曜日はパン作りの日でありまして、本日はそれに加えて
小さな客人からのリクエストに応えて、アップルパイを作ることになりました。
こちらに遊びに来る前から、アップルパイが食べたいといわれていまして、
気温が高いとパイ生地をのしたりするのは大変かなと思いましたが、幸いに
して、本日は午後からの気温が22度くらいでありまして、なんとかバターは
溶け出すこともなしで、作業をすすめることができました。
本日の粉作業はなんとか夕方には終えることができまして、サクッとした
パイを食べてもらうことができました。
パン作業をしながら、ずっと前に購入して積ん読になっていた文庫本を読む
ことになりです。昨日にも鶴見俊輔さん関連の話題に登場した「ガロ」編集長
長井勝一さんが取り上げられる「神保町『ガロ』編集室界隈」であります。
当方はコミックスの世界は、まるで暗いのですが、60年代後半からの
時代に高野慎三さんが描いている世界は、同時代であることもあって、
共感を持って読むことができました。
「当時の『ガロ』の読者層は、十五、六歳から二十、二十一歳ぐらいまで
が圧倒的だったと思われる。もっとしぼれば、十八、九歳が中心だったと
見られる。・・・
繰り返しになるが、六十七年から七十年の初頭にかけては社会の動向が
揺れ動く、いわゆる激動の時代だった。そして、この間、『ガロ』は、
もっとも充実した作品群を世に送り出した。だが、それを、作家個々の力量
の問題だけに還元したくはないと思う。
『ガロ』の作家は、たしかに並はずれた力量をそなえていた。常に意識的
であり、鋭い認識力に支えられていた。だが、作家たちの鋭い認識力、そし
て豊かな感性が充分に発揮できたのは、それらを支持した読者の存在に負う
ところが大きいと思う。」
昔はよかったというのではなくて、こういう意識的な読者もいて、優れた
作品が生まれたということですね。
この本では青林堂から刊行された「爆破」という野本三吉さんの著作に
ついても書かれていますが、この本を読んだ青年が野本さんに語った言葉
が紹介されています。
「俺にはYという男がやらざるをえなかった気持ちがわかるなあ。やつは
生きようと思った。やつにとっては爆破することが生きることだったんだ
よなあ。生きるってのは行為ですからね。言葉じゃないんだ。」
このような言葉が残されるのも60年代から70年代にかけてであります。
最近も相模原、京都、私鉄のなかで理解に苦しむ事件が多発でありますが、
「ガロ」の時代と比べると、なんとも救いがないのがいっそう悲惨に思える
ことです。