オリンピックは本日で終わりとなりますが、夏の家はまだ続きます。
時間をみつけてはねころんで本を読んだりしていますが、野呂邦暢さんの
「愛についてのデッサン」をちびりちびりと読み、このブログのために、
昨日に到着した落合勝人さん「林達夫 編集の精神」を手にしたりしています。
落合さんの本の序章は「知識人 / 編集者の時代」となっています。
今の時代、編集者は知識人でないこともありですが、林達夫さんの時代には
ある分野においては編集者は知識人である必要がありました。
当方が林達夫さんに関心をもつにいたったのは、平凡社からでている林達夫著作
集の編集メンバーとして久野収さんが入っていたからでありまして、当方にとっ
ては二十代に入ったころから久野収さんは導きの星の一人で、また編集者・知識
人の一人でありました。
昨日に手にしていた加藤敬事さんの本に、次のような印象的なくだりがありま
した。
「哲学者の鶴見俊輔は、語り下ろしの自伝『期待と回想』のなかで、『優れた
筆者に比べると、優れた編集者はとても少ない、まれである』と言って、戦後
でその名を挙げるとしたら、マンガ雑誌『ガロ』の編集長、長井勝一とみすず
書房の小尾俊人だろうと言っている。小尾さんはこの評価を受け入れなかった
であろう。小尾さんは、鶴見がマンガのような大衆文化を評価するのは、生まれ
がいいから庶民コンプレックスがあるためで、自分は田舎者であるから、その
ような幻想は全然ないと言っていた。・・・・その文化的影響力の大きさ、編集
力の高さからいって、この二人の戦後文化史への鶴見の位置づけは間違っては
いないであろう。」
まったく意識したことはありませんでしたが、小尾さんと鶴見さんはどちらも
1922年生まれでありました。小尾さんのほうは編集者は知識人であるべきだとい
うような考え方であったように思いますし、鶴見さんは昔風の知識人である必要
はないという考えであったようです。
鶴見さんの書評集成はみすず書房から刊行となっているのですが、小尾さんが
やってらしたときに、鶴見さんの本はでていただろうかと思うことです。