朝ドラを見ているせいか

 朝ドラを見ているというと「エール」ですねといわれそうですが、当方が

より楽しんでいるのは銚子の醤油屋さんを舞台とした「澪つくし」と岡崎の

八丁味噌屋さんが舞台になっている「純情きらり」でありまして、それに先月

までやっていた「はね駒」が加わります。

 朝ドラは時代をどのように描いているかというところに興味があってです。

ちなみに時代の古い順にいいますと「はね駒」は、明治の中頃から日露戦争

くらいまでが描かれていましたか。「澪つくし」は大正から始まって、やっと

昭和二年くらいのところにきました。「純情きらり」は、昭和15年くらいであ

ります。現在進行形の「エール」は、第二次世界大戦が終わって占領下にはい

っていますね。

 ということで、このところ目にしている朝ドラはエールを除くとすべて大日本

帝国時代の話となります。これの主人公たちは、自分たちはどう思っているか

わかりませんが、皆さん相当に恵まれた教育を受けています。現実には、普通

の家庭の娘さんたちは、こんなに恵まれてはいないのですが、なかなかそういう

ところに焦点をあててのドラマつくりは難しいのでしょう。

 「はね駒」は没落士族の娘で、福島から仙台の女学校へといくことになるの

ですが、お金をひねり出すのは相当にたいへんであったでしょう。「澪つくし

庶子ではありますがお金持ちの父親の援助を受けていましたし、「純情きらり

の父親は役場勤務ということですから、それなりのポストについていれば、女学

校への進学は可能でありましょう。(そういうふうに思えば、橋田壽賀子さんの

おしん」というのは、相当に思い切った設定であることがわかります。なんと

いっても「おしん」さんの生家で読み書きが出来そうな人は、一人としていませ

んですからね。)

 そんなことを思いながら見ていますと、それじゃ醤油屋さんや味噌屋さんに

働き(むしろ奉公といったほうがいいか)に来ている女性たちは、どのくらいの

教育を受けていたのかと思います。明治の女性たちは、なかなか学校(もちろん

尋常小学校であります)には行かせてもらえなかったと聞いていますからね。

明治に生まれて大正のころに十代になっている奉公人の女性たちの読み書きの

能力はどうであったでしょう。

 昭和10年代が舞台になっている「純情きらり」では、奉公にきている娘さんの

なかにも、奥の仕事をする女性と店の仕事をする女性が描かれていて、店にでて

いる女性は読み書きができるとわかるシーンがありました。

 主人公たちはみな女学校をでているので手紙を読んだり、書いたりするシーン

があってもいいのですが、使用人では帳場にいる人はできるでしょうが、現場に

いる人ではほとんど読み書きできないでありましょう。 

 本日は、自然と次の本に手がのびることになりました。

近代読者の成立 (岩波現代文庫―文芸)

近代読者の成立 (岩波現代文庫―文芸)

  • 作者:前田 愛
  • 発売日: 2001/02/16
  • メディア: 文庫
 

 「明治初年における民衆の読み書き能力がどの程度のものであったかを具体的

に伝える資料は極めて乏しいが、一例を挙げて見ると、明治21年、石川県で行っ

た全壮丁の教育程度の調査では、壮丁4583人の中、往来物の読み書きができる、

いいかえれば自主的に読書できる能力を備えるものが1869人、約41%という比

率である。・・・・ 

 女子の教育程度は男子のそれより更に低く、そのことはたとえば明治20年の学

齢就学率が、男子約60%に対し、女子はその半ばにもあたらない約28%という

数字に端的に現れている。幕末仙北町寺子屋で第一の才女といわれた石川啄木

の母は生涯に45通の平仮名の手紙を残しているにすぎないし、甲州の農民の娘で

あった一葉の母は、漸く仮名のにじり書きで帳付けができる程度であったとい

う。」

 明治20年あたりというと「はね駒」の時代でありますからして、よほど例外

的な女性を主人公にしているということがわかります。これを放送当時に見て

いた主人公を演じた役者さんと同年輩の人たちは、共感を持てたかもしれません

が、高齢の女性たちは、そんな人は自分のまわりには居なかったと感じたでしょ

うね。