初心にかえって

 初心にかえってはパン作りの話でありまして、オーブンがかわったこと

で、手順の再確認をすることになりです。今回の失敗の原因の大きな一つ

はレーズン酵母の出来がよろしくないこともあるようで、そんなわけで

ほんと久しぶりでドライイーストを使ってのパン作りとなります。

 すでに何年もドライイーストを使っていないので、冷蔵庫に保存されて

いたイーストは弱くなっているので、新しいものを買ってからやりましょう

と思って店にいって、ここしばらく日本全国で粉をつかって家庭生活を楽し

むというブームが起きているいるのを失念していました。

 そんなわけでもう2年以上も前に購入したドライイーストを使うことに

なりです。昨日には2斤型の食パンを焼いて、本日はフランスパンを焼いて

みることになりです。久しぶりの焼き上がりにイーストの匂いでありまし

た。オーブンに仕込まれている番号を打ち込み、スタートを押すと、それ

で焼きまでいけてしまうという未体験の作業となりです。出来上がりは

まずまずでして、よしまたやってみようです。

 イースト利用のパン作りは、天然酵母パンとくらべると作業時間が早いの

で、発酵させている時間を利用して散歩や買物にでたりすることができずで

ほぼ四時間でありました。

 その間は、本を読んでいたといいたいところですが、そうは問屋がおろさ

ずでした。多和田葉子さんの「星に仄めかされて」は残りが少なくなって

いたのですが、この小説は先を急いでてもいいことは何もないことで。

 そんなこと思いながら、先日のブックオフで購入したなだいなださんの

岩波新書を手にすることです。

  これはその前にでた「権威と権力」に続くもののようです。1992年に

でたときには、まったく知りませんでした。その頃はなだいなださんに

関心がなかったのでしょう。

 本日は頭とおわりのところをのぞいてみたのですが、ここに次のような

ことが書かれていました。

「ぼくは社会主義の優等生ではなかったが、19世紀以来の社会主義運動の

流れを見渡すと、やはりその流れのなかに浸かっていた一人ではないかと

思う。

 だが、社会主義を信じていたからかというと、そうではない。ぼくは

へそ曲がりで、かって書いたことがあるが、人が右へ行けば左に行く、

みなが左に行けば右に行くという性質があったからだ。非常に簡単な

行動原理である。ぼくは常に、われは少数派なり、を誇りにしてきた

へそ曲がりであった。

 さて、社会主義国家は、今、われ先に社会主義を放り出している。

ぼくはそのときになってへそ曲がりから、人の捨てるものを拾ってみる

気になった。」

 社会主義国家といえば、いまはほとんどなくなっているようですし、

あってもほとんど人権抑圧が売りのような国家になっていますね。

混迷する自由主義(?)の大国 USAにおいて、社会主義者を自称

する上院議員が、若い人たちの支持を集めて大統領選候補にでてい

こうとしたのは記憶に新しいことですが、やりたい放題の新自由主義

による格差拡大に歯止めをということになると、新しい社会主義

ようなものが求められるのでありましょう。

 時代遅れのへそ曲がりが脚光をあびることになりそうです。