長谷川さんと小沢書店 3

 当方が購入した小沢書店からの最初の本はなんでありましょうと思っており

ました。長谷川さんがおこした小沢書店(どうして小沢書店というのでありましょ

う。スポンサーであるとか、ゆかりのなにかに由来するとか、どこかを見たらわ

かったらいいのにです。きっと当方の眼につかないところに記録されていたりす

るのでしょう。)

 どうやら、これは篠田一士さんの「バンドゥシアの泉」が最初のようでありまし

て1982年のことのようです。これより前に篠田さんは、「定本吉田一穂全集」の

内容見本に推薦文を寄せていますので、やっとこの時になって篠田さんの著作

が小沢書店で形になったという感じです。

 先日に三木卓さんの「若き詩人たちの青春」で描かれている篠田一士さんの

ことを紹介しておりますが、当時の出版社にとって、篠田さんに後押しをしてもら

うというのは、非常にありがたかったと思います。

 この「バンドゥシアの泉」のあと、篠田さんのものを何冊かだして、亡くなった

後には、それまでまとめられていなかったものを一冊として「評論集」(ほとんど

追悼の意味合いをこめた)をだしてくれました。

 もちろん長谷川郁夫さんの「藝文往来」にも篠田さんについての文章が収録

されています。

それにしても、小沢書店があと10年位も健在でありましたら、篠田さんの選集の

ようなものがだしてもらえたのではと思うことです。

vzf12576.hatenablog.com 長谷川さんは、小沢書店のあと編集プロダクションをやりながら、著述家と

なっていくのですが、最初の著作は1992年の「われ発見せり」でしたので、

このときは小沢書店と二足のわらじでした。

 「われ発見せり」のあとがきから引用です。

伊達得夫について書いてみないか、と『新潮』の鈴木力氏に誘われたのは、

もう十年も前の冬のことだ。その夜、僕も高校生の頃から『ユリイカ抄』を何

度も何度も読み返した口です、と酔ったように鈴木君は語った。その頃私は

早稲田文学』に戦前の出版人、第一書房長谷川巳之吉のことを調べて

評伝を連載していたが、出版の仕事を初めて十年、慌しい日々を過ごすうち

になにか大切なものを置去りにしていたことに気付かされたのだろうか、

熱意のこもった鈴木くんの肩が私を突き動かした。・・・1985年の暮れ近い

日にようやく最終章に辿りつき、本篇は翌86年2月号の『新潮』に一挙掲載

された。」

 この一挙掲載から、単行本になるのにさらに6年が必要でありまして、

刊行したのは書肆山田でありました。