長谷川四郎さんの命日を、当方は「山猫忌」としています。命日は1987年4月19日
でありますので、実際は明日が祥月命日となります。
以前も記したことがありますが、4月に亡くなった文学者で、当方が恩義を感じて
いる方に篠田一士さんもいまして、こちらは1989年4月13日が命日でありました。
篠田さんのことについても、すこし話題にしたいなと思っていましたら、篠田さん
の「創造の現場から」(文芸時評1979〜1986)に、長谷川四郎さんの作品への言及
がありました。
「創造の現場から」(小沢書店 1988年刊 )でありますが、なぜかアマゾンに
リンクをはることができません。どうして、この本の登録がないのか不思議であり
ますね。
そんなわけで、まずは篠田さんの「創造の現場から」を話題とすることにしま
しょう。
これは毎日新聞の文芸時評を7年分まとめたものですが、この時評は長らく平野
謙さんが担当していたもので、いわば文芸時評の老舗といってもいいものです。
これに対して朝日新聞は石川淳さんを起用して時評のありかたをがらっとかえて
しまったのですが、毎日のほうは従来のやり方と大きくかわっていません。
篠田一士さんの時評の一回目の書き出しは、このようなものでした。
「江藤淳氏のあとを受けて、本欄を担当することになった。江藤氏のまえには、
亡くなった平野謙氏が長らく執筆し、この欄の名声を高らしめたことは、すでに
周知の事実である。
両氏とも、それぞれ、目配りのきいた文壇報告を行い、たえず、活発な問題提起
を行ったことは、これまた読者諸氏がよく記憶するところであろう。及ばずながら、
両氏の驥尾に付し、ぼくも、また、能う限り視野をひろげて、今日の文学のありか
をまさぐり、その軽重をあきらかにしたいと思う。」
篠田さんであっても、なんの違和感もなしで「文壇報告」と記する時代であり
ました。最近も文芸時評は続いているのでしょうが、それをまとめて一冊になると
いうことはなくなっているようで、それは「文壇」が消失したことと関係があるの
でしょうか。