4月19日は長谷川四郎さんの祥月命日でありまして、この日を「山猫忌」と
いって当方はこのブログで追悼を行っているのですが、長谷川さんが亡くなっ
て35年が経過しますのに、いまだお墓参りはしたことがありませんです。
小沢信男さんが世話人代表のような形で「ぼくの伯父さんの会」というのが
できたのが昭和57(1982)年のことでした。
「ぼくの伯父さん」というのは、四郎さんが1971年に青土社から刊行
した小説集のタイトルでありますが、この言葉は、このあと全集(1976年)
の内容見本の冒頭でも使われたのでありました。
「長谷川四郎氏の文章の魅力は、魔法の杖のようなもので、読む者のうちに、
えもいわれぬ歓びを響かせます。しかしなぜそうなるのか。それがなかなかに
捉えがたいのです。・・・
すなわち長谷川四郎氏は、われらのごく身近にいる『ぼくの伯父さん』であ
り、同時にまた遥か天空に渦巻く一箇の星雲なのです。」
晶文社にかわってこの文章を書いたのは、小沢信男さんでありまして、これ
がのちの「ぼくの伯父さんの会」につながっていくことになりました。
小沢信男さんが「ぼくの伯父さんの会」の世話人ということで書いています
のは、きゃらばん文庫からでた「ところで今は何時かね」の編者あとがきで
ありました。
「なお『ぼくの伯父さんの会』というのは、べつになんの規約もなし、本書を
楽しんでくださる方はどなたも会員です。ただ、お祭りの係員のようなものと
して世話人がおります。主に文の編集と、制作の前半を担当しました。そして
『きゃらばんの会』が、主に画の編集と、制作の後半を担当しました。すなわ
ち共同製作です。」
ということで、世話人として小沢信男 高頭祥八 玉井五一 福島紀幸の
四氏の名前があがっていました。
「ぼくの伯父さんの会」は、発足して40年になりますが、私は会員だと
思われる方は、今はどのくらいいるのでしょうね。当方が生きている限りは
この会は存在するのでありますよ。