出来高すくなし

 最低でも100ページくらいは、なにやかにやで読まなくてはいけないのに、まる

でページを稼げていません。本日の未消化分を明日に繰越していけば、そのうち

眠る時間もなりますでしょう。

 本日は、あとすこしで最後のページにたどり着きそうであった新書二冊を手に

していました。一冊は、今年のセンター入試国語で話題の沼野充義さんの「屋根

の上のバイリンガル」でありますが、一番最後におかれた章「ワルシャワからの手

紙」に次のくだりを発見であります。

「どこへ行っても刊行そっちのけで本を買いあさって喜んでいるような人間にとっ

て、場所の移動は楽なことではありません(本は重いですからね)。いまは亡き

長谷川四郎さんはあれほどのポリグロットで、たいへんな読書家だったのに、

蔵書はいつもミカン箱一つきりだった(それとも二つだったかな)という驚くべき

美談をどこかで聞いたことがありますが、どこへ行っても買いこんだ本の山のせい

で身動きがとれなくなるわが身のだらしなさをそれとひき比べ、苦笑するばかり

です。」

屋根の上のバイリンガル―エッセイの小径 (白水Uブックス)

 長谷川四郎伝説でありますね。 蔵書は「ミカン箱一つ」というのは、さて

どこにあったろうかと思って、まずは福島紀幸さんの本を手にしてみましたが、

それじゃないですね。そのときに、「ホーボー」ということばがひらめいてきまし

た。「ホーボー」といえば、長谷川四郎さんと片岡義男さんの対談であります。

「ホーボーだって本を読むのです」というのが、そのタイトルで1973年11月号

の「宝島」に掲載となったものです。(この対談は、晶文社からでた「ぼくの

シベリアの伯父さん 長谷川四郎読本」に収録されています。)

この対談に次のようにありました。

「片岡『ひっこしのたびに、本をみんな持っていく人もいますけど。』

長谷川『いるね。昔は、一年に一回くらい、ひっこしたんだ。だから、自然に本

が整理できた。ミカン箱ひとつに入りきるだけの本は残す、というふううに。』」

 「ミカン箱ひとつ」というのは、この発言が元になっていますね。引っ越しに

あたって本を整理するときは、ミカン箱ひとつ分は残すということらしいですが、

それが蔵書は「ミカン箱一つ」となっていったのかな。

 長谷川四郎さんがともに足を運んだであろう吉田一穂さんの書斎について、

吉田秀和さんが書いているのですが、そこには、吉田一穂さんの書棚の様子

を、次のように描いています。

「主人公は入口から正面の壁を背に学生みたいな木綿の紺がすりの着物を

きて、正坐している。そのうしろだったか、二段ほどの低い本棚があるが、そこ

には、本はほとんどない。・・・本棚がいっぱいになるようなことは、その後の

数十年の見聞を通じて、一回か二回しかなかった。むしろ棚には、数冊し

置いていないのが通則で、それが高校生の私には、すごく魅力的に見えた。」

 北海道の先輩詩人 吉田一穂さん吉田秀和さんも、長谷川四郎さんも

尊敬していたのですね。吉田秀和さんは、「ソロモンの歌」に収録の文章で、

上の引用に続いて「本をたくさん置いておくのが大嫌い」と書くのですが、これ

は長谷川さんも同様であったようです。 

ぼくのシベリアの伯父さん―長谷川四郎読本 (1981年)