最終学歴は名門高校

 親の期待に応えて、誰にも羨ましがられる難関高校に入学して、そのあと
みごとにドロップアウトというのは、70年代の初頭まではけっこうあった
話です。あの時代であれば、高校生でありながら学生運動にはまるというのが
一番多かったでしょうか。そのあと、学校へ戻ることもなく、どこかで違った
道を歩み始めた彼らは、その後の人生をどのようにすごしているのかと思う
ことがあります。
(さらにその昔には、広松渉さんのように中学生でありながら共産党の活動家と
して名前をあげて、それから学校に戻って、最後は大学教師になったなんていう
人もいましたが。)
 難関高校で落ちこぼれたが、なんとか大学を卒業したという「中島らも」さんの
ような人もいますが、学校は高校でおわってしまって映像や文学という世界で
活躍している人は、どのような高校生活を送っていたのでしょうね。
 小生とほぼ同じ学年でいくと「原将人」さんなんてひとは、高校生の時から
有名でありましたね。高校でつくった8ミリ映画が評判となって、その後は映像
作家となったのですが、彼については、四方田犬彦の周囲にいる教育ママたちに
とってのアイドル的な存在であったとありますが、麻布高校から社会にでたこと
で落ちたアイドルとなったのでしょうか。そういえば、映画「パッチギ」の井筒
監督も、高校の時に映画製作をはじめて、大学にいかなかったのでした。映画と
いうのは昔の大手に入社しようとすると学歴が求められますが、独立系であれば
どこの学校をでているかは、ほとんど問題にならないようです。
 そこで文学畑では、どのようなひとが思い浮かぶかというと、これがけっこうな
大物が難関高校卒でいるのでした。
まずは、辻原登さん、そして矢作俊彦さん、佐伯一麦さんであります。
 小生とほぼ同年は矢作さんですが、彼もまたとんでもなく早熟でありまして、
小生が最初にふれた矢作は、アメリカンコミックの作者としてでありました。
ダディ・グースという名前で、「漫画雑誌」に連載をしていたはずです。
その後、ハードボイルド作家として、「気分はもう戦争」などで小説家として
知名度をあげたのですが、小生のアンテナにかかったのは「鈴木さん」を主人公に
した小説によってでした。その後、どんどんメジャーとなって、彼の存在を抜きに、
最近の小説は語れないと思わせるほどです。
 辻原さんも立派な高校にいっていたのですが、大学にいかずに働きながら小説を
書いていて、40代くらいになって「村の名前」で芥川賞を受けたのですが、
その後の活躍は立派の一言です。
 佐伯さんについては、NHKで彼の作品をドラマとしたことがありまして、それを
みてから興味をもって、すこしずつ読み継いでいるところです。仙台の高校をでて
電気工という経歴は、相当に異色といえるでしょう。
 親の反対を押し切って、大学へといかずに、なんとか自己実現を果たした彼らは、
高校へと通いながら、自分の好きなことをやっていくべきか、それとも親に従うべき
かと悩んでいる若者たちの、導きの星となるのでしょうか。