書いた人も書かれた人も

 本日も夕方から古い取りよけていた新聞を整理することにです。

 その昔は、新聞を切り抜いてスクラップで整理していたのですが、いつからか

取りよけるだけで、そのうち整理するわと思っていたのですが、これが何十年にも

なりますと、とうていスクラップ帳に貼って整理するとは思えなくなることにです。

 本日は、なかでも愛着のあるものを、さらに取りよけることにしました。結局の

ところ、あの人たちは、その時代にはまだ生きていたのだなという確認をすること

にです。

 今から20年ほど昔の朝日新聞書評欄には、種村季弘さんが寄稿していました。

2002年6月9日には、次の本をとりあげて書評しているのでありました。

 書き出しは、当然にアナイス・ニンという、あまり有名でない作家さんについて

の紹介でありまして、続いて矢川さんの本に触れていくのですが、当方がこれを保

存とするのは、次のように書かれているからであります。

「ここからは書評の範囲を越える。著者からこの本が届けられた日の朝、私は矢川

澄子自死の報に接した。まさか。年をとったからこそ森茉莉や今の若い人のように

ぐうたらで生活無能力、甘やかされ続けてきた『スポイルド・チャイルド』みたい

な生き方をしましょうよ、と老人ホーム(!)の講演でアジった。童女の顔をした

この人は、それなのに永遠の美少女の絵で表現の時間を止めてしまった。」

 日付に注目することですが、矢川さんが亡くなったのは5月29日とのことで、

この書評の掲載は6月9日。種村さんの無念さが伝わってくる文章であります。

 矢川さんを特集した「ユリイカ」では、種村さんはインタビューにこたえてい

て、そこでは次のように語っています。

「矢川さんと知り合ったのは、グスタフ・ルネ・ホッケの『迷宮としての世界』

(美術出版社、1966年刊)を一緒に翻訳する相談をした時です。仲介役を

努めてくれたのはぼくの学生時代からの友人松山俊太郎でした。」

 お互いの存在は、その前から知っていたのでしょうが、密な付き合いになる

のは翻訳を共同で行ってからのことであるとのこと。

それにしても、新刊となる本を献呈された日に、亡くなった知らせを受けるという

のは、ずいぶんな話であります。