本日、図書館に走り読みした「龍彦親王航海記」を返却して、新刊棚をみま
したら「小尾俊人日誌」が目に入りましたので、勢いで借りることになりです。
恥ずかしながら、この本は先週かに大きな本屋さんへと行った時に確保して
いるのですが、いまだまるで読むことができていないのです。それで、バイト先の
休憩時間にでも手にしてのぞいてみようと思って借りた次第です。
もと図書館職員によりますと、このようなマニアックな本は借りる人がいないと
次回からは購入しにくくなると聞かされておりますので、まずは借り出しの実績
を作っておかなくてはです。
以前にも記しましたが、宮田昇さんの本に収録されていた小尾さん1951年の
日記というのが、長谷川四郎ファンにはたいへん興味深く、それでこちらも確保
することになったのです。
ということで、まずはこの本のなかに「長谷川四郎」の文字をさがすことになり
です。とはいっても、これは日記ではありませんし、編集は丸山真男、藤田省三を
めぐってのところを軸に組み立てられているのですが、このお二人に関心のある
方々にはおすすめのものです。このお二人は、どちらも近づきにくいほど立派な
先生でありますが、ひどく人間的な一面をのぞきみることができまして、当方の
ようなミーハーにも興味深いところがありです。
それはさて、どうやら長谷川四郎さんについては一箇所しかでてこないよう
でありまして、それは1974年10月1日午後3時30分のことで、小尾さんのメモは、
以下のようにあります。
「 1 劇団寄付 50,000
2 詩集 ソノシート
詩 40から80頁
画
3 花田清輝論 みすずへ
葬儀に藤田氏が来ていた由 」
ほとんど何のコメントもないのですが、これを当方流に読んでみると、次のように
なるのかな。
1 劇団寄付 1974年といえば四郎さんは、花田清輝さん、佐々木基一さん
小沢信男さんと合作で「故事新編」という芝居を作り74年11月27日から12月
7日まで東京六本木の俳優座劇場において、演劇団体『木六会』の制作で上演
されていたのですね。(「故事新編」の四郎さんによるまえがきからです。)
ということで、四郎さんは小尾さんに5万円寄付してほしいといったのが一番
の目的でしょう。
2 ソノシートをつけた詩画集の企画を持ち出したようですが、これはのちに
青土社から「一つ目小僧の歌」(1978年刊)にまとまったものですね。ちょうど時期
的にもあっているようです。
3 花田清輝論を月刊「みすず」にというのは、実現したのかな。1973年にみすず
から四郎さんの「中国服のブレヒト」が刊行となるのですが、これの基は「みすず」
に70年7月号から72年5月号まで連載されたものです。たしか連載のときは、
「ボクテキとブレヒト」とか「メ=ティ」というふうにいわれていたはずです。(連載中の
「みすず」を確認したらはっきりしますが)
この一箇所だけでも、十分楽しめることであります。