小尾俊人の戦後 7

 このブログのために「小尾俊人の戦後」を手にしています。
 あいかわらずで見ているのは、小尾さんの「1951年日記」で、長谷川四郎さんとの
関わりを記しているところ。四郎さんが「パスキエ家の記録」の翻訳をしていたことも
あって、かなり頻繁に面談をしているようです。
 この年の5月5日と5月26日に、小尾さんは四郎さんの狛江の自宅を訪ねています。
そのうち、26日の記載を引用です。
「 長谷川氏、多摩川べりの緑の原、畑、武蔵野の南の丘陵。
  この人に会うと、自分が間接的な思考つまり抽象語によって事物を測っていることを
 感じる。彼に在っては、真実が自然から直接に汲みとられる。そういう天性の
 パッションを具えている稀な資質の詩人である。ある段階までは『抽象』は困難な  
 ことだが、その段階を越えると逆に現実の方が困難なものになる。抽象が安易なものに
 なってくると言った言葉を思い出す。僕はつまらない、おしゃべりばかりしたようだ。
 資本家にはなりたいが、ジョゼフの才覚なきため不可能であると笑った。」
 この時、長谷川四郎さんは42歳(1909年生まれ)、小尾さんは29歳(1922年生ま
れ)でありました。
 この年9月に、みすず書房は手形不祥事を起こし、会社はたいへんな危機に陥るとあり
ます。