わからないのが魅力

 昨日に引き続きで谷崎潤一郎の「吉野葛」話題でありますね。昨日には

島田雅彦さんがTV番組での発言を受けて、そういえば花田清輝さんは、この

作品についてどのように書いていたかなと記して終わったのですが、花田さん

の「吉野葛 注」(「室町小説集」に収録)は思いのほか簡単にでてきました。

  当方の手元にあるのは1973年11月刊行となった元版のほうです。学生であっ

た時に購入したもので、もともとの谷崎「吉野葛」は未読であるのに、花田の

注を読むというのですから、まったく無謀な読書でありまして、わかるわけな

いことです。

 まあそういう時代(あくまでも当方にとっての話)でありました。まわりの

人たちが吉本を読むのであれば、自分は花田を読みましょうということで、そ

のころには小沢信男さんとか長谷川四郎さんのものに親しむようになっていま

したのでね。

 ここのところちびちびと読んでいる坪内祐三さんの「考える人」の長谷川四郎

さんのところにあった、似たようなくだりを引用です。

考える人 (新潮文庫)

考える人 (新潮文庫)

 

 「私はちょっと変わった方向から長谷川四郎に入りました。つまり私が初めて

読んで長谷川四郎の本は『長谷川四郎の自由時間」という雑文集だったのです。

 実は『長谷川四郎の自由時間』はいわゆるゾッキ本で、その頃(私が浪人生

だった頃)神保町や早稲田の古本屋街で、とても安い値段でゴロゴロ転がって

いたのです。その安さにひかれてなんとなく買ってしまったのだと思います。

 それから半年ぐらいたった大学一年の夏頃、その目次を改めて開いて見たら、

驚きました。

 その頃、私は花田清輝の熱心な読者になりはじめていました。イデオロギー

の時代は終わったといわれていたものの、若者は、常に、何らかの思想を求め

ています。」

 ということで、坪内さんはゾッキ本長谷川四郎さんを読むようになって、

その本に収録の花田清輝についての文章で、長谷川さんに興味を覚えるように

なったのでした。

 坪内さん19歳から20歳のことでしょうから、1978年くらいなのでしょうか。

この時代の坪内さんのまわりでは花田も読まれなくなっていたことがうかがえ

ます。そうした同世代の人たちが猫またぎするような作品を手がかりに、自分

を鍛えるというのが坪内流でありましょうか。 

 それはさて、坪内クラスであれば二十歳くらいで花田清輝に取り組んでも、

成果をあげることができるかもしれませんが、当方のレベルでは、最初に手に

してから50年近くになるというのに、いまになってなお跳ね返されているので

した。

 それでもわからないのが花田の魅力でありまして、どうすれば花田の文章を

読めるようになるのだろうかと、読書の腕前(岡崎武志さんの用語です)が

あがることを願いながら、精進を続けるのでした。

 谷崎の「吉野葛」に関していえば、いまこのような評価を受けているのは、

まずは花田清輝が「吉野葛 注」という作品を書いたからで、それに触発されて

後藤明生が「吉野太夫」を書いたからではないかと思うのですよ。

 そしてNHKTVで島田雅彦が谷崎から選ぶ四作品のなかに、これを入れたのも

花田の影響を受けてのこととはいえないのかな。