昨日に新聞夕刊に「ラテンアメリカ文学者・翻訳家 鼓直さんを痛む」と
いう見出しがありました。鼓さんが亡くなったのは4月2日のことですが、それ
が知らされたのが4月も終わる頃になったこともあり、新聞などでの報道は
あまり大きなものにはならずでありました。
それはないんでないかいということで、当方はここで話題としておりました。
vzf12576.hatenablog.com それから二ヶ月を経過して、ほんとおくればせでありますが、7月3日に追悼
の記事が掲載となったわけです。追悼文を寄せているのは、鼓さんの指導を
受けたラテンアメリカ文学の野谷文昭さんであります。文章の最後には寄稿と
ありますので、野谷さんも、このままほってはおけないと思って、新聞社にかけ
あったのでありましょう。
その昔でありましたら、このような重要な翻訳者が亡くなりましたら、新聞の
文化部のほうから然るべき人に、執筆の依頼がいったはずですが、最近はそ
のようなことがなくなっているとは思えないので、やはり最近の文化部では
鼓直さんの認知度は低くなっているのかな。
野谷さんの文章から、すこし引用してみることにします。
野谷さんは1948年生まれで、教えを受けるようになったのは大学紛争が
収まった頃のことだそうです。
「東京外大大学院で、教授たちの反対を押し切ってラテンアメリカ文学を専攻
することになり、必要な講師として鼓直先生を招いてもらった。授業は学部と
共通のテキスト購読だったので僕にとっては終了後に喫茶店で話し込むこと
こそが授業だった。」
このくだりを読んだだけでも、「先生とわたし」のようではないですか。これに
続いてのところでは、次のようにありです。
「スペイン語文学への関心は本国が中心で、『ドン・キホーテ』やロルカがもっ
ぱら対象だった当時、先生は『百年の孤独』と取り組んでいたはずだ。1967年
グアテマラのアストウリアスがノーベル文学賞を受賞したものの、革命文学の
作家とみなされていた。先生はその『緑の法王』という小説も訳している。
でも本領を発揮するのはガルシア=マルケスの代表作と出会ってからである。
冒頭を果てしなく書き直したとその時の担当編集者から教えられたが、ガル
シア=マルケスの作品は冒頭が重要なので、必要な作業だったはずだ。」
1970年を迎えるころまではラテンアメリカ文学なんて、ほとんど認知されて
いなかったのですね。当方もどこかで触れているはずですが、篠田一士さんが
ロジェ・カイヨワがフランス語に翻訳したボルヘスを読んで感激して、それを
翻訳して発表したのが1959年頃のことでありましたから、あの時代にラテン
アメリカ文学に取り組もうなんて人はほとんどいなかったはずであります。
「不死の人」を翻訳でだしたのは、土岐恒二さんで篠田さんのお弟子さんの
英文専攻の方でしたからね。
そういうところに登場したのが、鼓直さんであったのでありました。それから
は、スペイン語で書かれた現代文学作品というと、ほとんどラテンアメリカの
ものをいうようなことになってしまいました。
ほんと新しい天体というのは、このことでありますか。