創業40周年 14

 昨日に引用した川村二郎さんは、はてなキーワード登録がなかったので、この方は
「独文学者にして批評家」という紹介を加えておきましょう。(同姓同名の新聞記者が
いらして、書いていることはまったく違うのですが、間違えるとこまりますので。)
 先日に表紙を掲げた「カイエ」にも、川村二郎さんは寄稿しているのでした。
「カイエ」は、ほとんどボルヘス特集でありますので、昨日に引用した川村二郎さんの
文章からすると違和感なしですが、ここに驚くべきことがありました。
「ぼくがボルヘスを知ったのは、他の多くの作者や作品と同じく、『読書魔』篠田一士
の教示を通じてだが、彼の翻訳した短編『不死の人』を『秩序』誌上で読んだのが、
もう二十余年前になろうか。それからぼく自身が、重訳にもせよ、とにかくボルヘス
作品の二番目の邦訳『シナの迷宮』(原題『分岐する小道の庭』)を『文藝』に出した
のが、今古雑誌を引っ張りだしてたしかめると、1963年二月号、つまり十五年をとうに
過ぎた昔のことである。」
 昨日に「いっとき、恍惚として、スペイン語の初歩を学び、さらに未知の文学の山脈に
分け入ることを願った」とあったのは、この時代のことでありますね。
 鼓さんが書いているように、世界的に60年代初めから「ラテンアメリカ文学」の
ブームが巻き起こるのですが、それに先んじた文学の動きがここに見られます。
篠田一士と「秩序」のメンバーは、これに関しては時代の先を行っていたといえるよう
です。
 ある種の文学者にとっては、ラテンアメリカ文学にどのようにして遭遇したかという
のは、南極点にだれが最初に到達したか、またはどのルートで到達したかというのと近い
話題であるのかもしれません。
ラテンアメリカ文学叢書」内容見本の小海永二さんの推薦文は、そのような書き出しで
あります。
「わたしがフランスのガリマール書店からでている<南十字星叢書>によってラテン・
アメリカ文学の存在を知ったのは、今から18、9年ほど前のことになる。
アルゼンチンのJ・L・ボルヘスキューバのA・カルペンティエールグアテマラ
M・A・アストゥリアスらの名前とその作品を、わたしはロジェ・カイヨワが編集する
この叢書によって知り、ここに、西欧中心の世界文学の周辺に、一つの実り豊かな未知の
文学世界が開花しているのを見て、心惹かれた。
なかでもアストゥリアスの「グアテマラ伝説集」などは、当時、仏訳からではあるが訳出
を意図して、知り合いの編集者に話をしたこともあったが、いかんせん、当時の日本の
出版界の状況では、この計画は陽の目を見ようはずがなかった。」
 この文章が書かれたのは、77年のことと思いますが、なんとなく釣り損ねた大魚を
残念がる雰囲気が伝わってくるではありませんか。
(ちなみに、篠田一士さんが最初に翻訳したのは、1954年(昭和29)とあって、これ
は、南十字星叢書ではなく、53年9月号の「N・R・F」に掲載されたボルヘス
「不死の人」を目にしたことがきっかけとあります。これはかなわない。)