出かけた先で、狭い道路に面したお家から車を出そうとして、向かいの塀に
車の鼻つらをこすってしまうことになり。これがしたのほうだけでなく、すこし上の
ほうまでで、まったくへこんでしまいました。いくらなんでもこのままにはしておけ
ないことで、ああ物入りでありますね。
そんなことがあって知人に会いましたら、これでも読んでみたらと本を貸して
くれました。昨年に刊行となった坪内祐三さんの本でありました。
アマゾンのリンクはKindle版となっていますが、貸してもらったのは本で
あります。元は「小説現代」に連載されたものだそうです。
当方は、今から30年ほど前にたった3年ではありますが東京で暮らしてい
たことがあって、その時に銀座にも足を運んだことがありました。坪内さんが
取り上げている銀座のお店でも買い物をしたことがありました。
とはいっても、当方が利用したのは書店と文房具屋くらいなものでありま
すが、東京の勤務先からは地下鉄有楽町線を使うと、そんなに時間がかから
ずにでることができましたので、伊東屋は銀座で一番通った場所でしょう。
伊東屋といえば、ここで売られていた西ドイツ(当時)製の手帳を長いこと
使っていたのですが、あれを使っていたときは銀座につながっている気が
したことであります。
https://vzf12576.hatenablog.com/entry/20151206
東京勤務の時の上役さんは、東京暮らしが長く、銀座も名店などもよく
ご存知の方でありました。いろいろと教えていただきましたが、当方がここは
いいなと家族を案内していったラーメン屋さんのことを、坪内さんは「私が
よく行くラーメン屋」ということで書いていました。
「そしてスバルビル地下の『中本』(数年前までオープンしていたという)と
同じくスバルビル地下の『万世』のパーコーメン。」
坪内さんが取り上げている店は、ほとんど行ったことがないのですが、
珍しやこの二店は、何度か行って、特に「万世」は家族にも好評でありました。
とはいうものの、この本は銀座グルメ本ではなくて、現在進行中の街殺し
への抗議の一冊であります。古い銀座に親しんでいる人なんて、ほとんど
80代以上でありましょうから、その人たちの思いを受け継いで書いている
ようです。
「銀座八丁目西」という章では、ここで生まれ育った小沢信男さんの話題
になります。ちょうどこれを雑誌連載中に、小沢さんの「私のつづりかた」が
刊行され、それのこじんまりとした出版記念会を、ゆかりの銀座で行ったと
でていました。
坪内さんも言及していますが、「私のつづりかた」には、小沢さんの手に
よる「当時の銀座西八丁目界隈地図」が掲載されていて、これなどほんと
「小さな市街図」なんでありますね。