マッチポンプかな

 昨日の話題は、1に米朝会談で、2は上野動物園のパンダ誕生日でありました。
 ちょうど東京経由で帰路につくことになり、すこし東京で時間がありましたので、
そうかパンダを見物するという選択肢もありかと思っていましたら、TVニュースで、
開園前に長蛇の列ができているとの映像がありました。とても思いつきでいって見物
できるイベントではありません。
 米朝会談は、ほんとこの時代に、小松左京さんと桂米朝さんがやっていた「題名の
ない番組(ラジオ大阪 1964年から69年 通称「題なし」)がありましたら、これを
どのようにいってくれたかであります。
 ちょうど政界のマッチポンプといわれた議員が活躍したのも、この放送があった頃
でありました。いまはほとんどマッチポンプという言葉を目にすることもなくなって
いるようです。たいした深い意味のある言葉ではなく、自分で火をつけておきながわ、
それを自分で消して、それで利益をあげるというようなことでしょうか。
 もう何年か前のことになりますが、放送局の若い記者がスクープをねらって、自分
で火をつけて、それを連続放火の疑いとか報道し、そのあと放火が発覚したというこ
とがありましたが、この記者が、自分で発見して消火活動をしていたとしたら、これ
こそマッチポンプでありましょう。
 マッチポンプということばを思いだしたのは、シンガポールで会談しているお二人
があまりにも、自作自演のならずもの二人組に見えたからです。どっちが保安官で、
どっちがマフィアかよくわからないのですが、一方の人は、これまで誰もできないこ
とを自分はやったので、褒められて当然というスタンスであります。
 取り巻きの応援団は、これでノーベル平和賞の有力候補とはやしたてたりして、
なんともはやです。ノーベル賞の他の部門とくらべた時、平和賞はその受賞者に疑問
の声があがることが多いのですが、そういえば、この国にもノーベル平和賞を受けた
人や、平和賞をもらいたいと売り込みをしている人がいるといわれていますが、平和
というのは、戦争状態にあるのを収めた時に生ずるとすれば、そのためには、まずは
戦争状態を作り出さなくてはということになりますね。