雨の渡り歩き

 日曜日から旅行で、台風が近づいているなかバラ見物のためにでかけ、本日にやっ
と雨があがったと思ったら、自宅に戻りましたら、こちらが雨となっていました。
気温が低くて、この時間はストーブをつけて暖を取っています。
 今回の旅行ではバラと浅間山を見ることを愉しみにしていたのですが、お山のほう
は、まったく姿をみせずでありました。これは残念でした。
 当方が軽井沢というか、追分のことを知ったのは、加藤周一さんの「羊の歌」にあ
る「高原牧歌」の章によってであります。そんなわけで、今回は追分に足を運んだの
ですが、もうすこしゆっくりとあのあたりを見るのでありました。
 いまはどこも軽井沢というようですが、その昔は追分、沓掛、軽井沢というのであ
りますね。軽井沢は欧米人が開発し、主に日本の富裕層が別荘を構えるようになった
とすると、中野重治さんは沓掛で、もっと年少の作家さんは追分でありますね。
 加藤周一さんのところはお父上が追分に別荘をもっていたのだそうですが、そこに
は旧制中学校の頃から通っていたとありまして、1930年代ですから、ほんとの農村で
ありましたでしょう。
「追分の家は、中仙道から浅間へ向って少し入った林のなかにあり、眺望はよかったが、
ガス、水道もなく、井戸もなかった。知り合いの農家の主人に頼んで、近くの寺の井戸
から水を桶で運びあげてもらい、炊事のためには七輪に薪と炭で火をおこしていた。
その生活は、都会の物好きな人々が山野に天幕を張ってキャンピングと称するものに
似ていたのであろう。」
 その時代の追分の生活は、不便な生活も楽しむ気持ちの余裕がなくてはいけないので
ありますね。