それをいったら

 岩波「図書」12月号をみておりましたら、高橋三千綱さんが「感動の人生」という
文章を寄せていました。
 文章の書き出しをみて、それをいったらと思ってしまい、せっかくの本文のなかに
うまくはいっていくことができずでありました。
書き出しは次のとおりです。
「三年半前に千七百円の値段で出版された単行本が古書店で二百円で売られていた。
書き始めてから脱稿するまで十一年かかった作品である。・・・出版に難色を示した
上司や販売局の人を押し切って出版にこぎつけてくれた担当者や千七百円を支払って
買った三年半前の読者に申し訳ない気がしたのである。第三章の二百八十六枚は食道
癌で入院中の病室で深夜脱稿した。いわば命を賭けて書いたつもりが、結果として命
を棒に振ってしまったのである。初版絶版がそれを証明していた。」
 当方は高橋三千綱さんの作品を、たぶんまったく読んだことがないはずでありまし
て、三年半前に刊行された単行本のこともまるで知らずです。検索をかけてみました
ら、どうも次のもののようです。

猫はときどき旅に出る

猫はときどき旅に出る

 当方がそれをいったらと思ったのは、高橋三千綱さんはそこそこ売れる小説を書い
ていて、それなりに収入を得ていたではないかと思うからでありますね。
そんなことを思うのは、この時期に大西巨人さんの「神聖喜劇」を読みついでいるか
らでありますね。最終的に全八部 4700枚の作品になったものですが、大西さんが
書くところによれば、「1955年2月28日深更にその稿を起こし、1980年正月8日午前に
その稿を脱した。」とありますので、ほぼ25年それにかかっていた(それだけでは
ないのですが)ことになります。
 この作品にかかっていた期間の大西さんの生活たるや、生活保護基準を下回るとか
いわれていました。(子どもさんが病気ということもあって、その時代にずいぶん話
題になりました。)
 それにしても、この間の執筆生活を支えていたのはカッパブックス光文社でした。
当方がなんとか光文社文庫版で、この作品を読もうと思ったのも、このような事情が
あったからです。
 大西巨人さんが文春文庫版に寄せた奥書から引用です。
「さしあたり私は、もし私の著書が三百部ほと売れたならば、言い換えれば、もし私
の著書が有志具現の読者約三百人に出会うことができたならば、それは望外のよろこ
びであろう。(さらにもし同様の意味合いにおいて三千部ほど売れたならば、『以っ
て瞑すべし』であろう)、と考える。」
 三千綱さん、大西さんにいわせたら三千部売れたら「以って瞑すべし」なのですよ。
(岩波「図書」編集者のところを見ていたら、坂本政謙さんの名前がありました。
いつから「図書」担当になったのでしょう。坂本さんといえば、岩波の佐藤正午本の
担当として刷り込まれていました。高橋三千綱さんに依頼をしたのは、坂本さんなの
でしょね。)