「図書」5月号 3

 岩波「図書」5月号から話題をとって、何日か続けていたのでした。4月30日は
それでとりあえず更新をしようと、内容を記してから、保存するをクリックしたので
すが、これが保存されずに消えてしまったということのようです。
 保存するとしてから消えてしまうことは、一年に何回かあるのですが、これまでは
更新された記事を確認してから作業終了としていたものを、先日は確認せずに終了と
したことが失敗のもとでした。
 ということで、本日は4月30日に記したことを思いだしながら、更新することとい
たします。
 先日に「図書」5月号から二つの文章を紹介する記しまして、一つは小倉紀藏さんの
文章を話題としたのですが、もう一つは、小塩海平という方による「農学と戦争」と
いう文章になります。
小塩さんは、東京農大の教授をつとめている方ですが、今月から三回にわたって、次
のことについて連載するとのことです。
「ほとんど世間に知られていない東京農大満州報国農場の歴史を紹介しつつ、この
ような惨劇(100名近い学生たちが、この農場にはいたが、ここから逃避行の途上で
半数以上が斃れていった。)を生み出した学者や官僚たちの言説や生き様を探り、
さらにそれと好対照をなす、報国農場からの生還者たちの言動に光を照射してみたい。
それはとりもなおさず、・・・この満州化しつつある日本の中でどのように生きるの
かという問題と表裏一体をなしている。」 
 東京農大キャンパスには、この報国農場から逃避行の途上で亡くなった学生の慰霊
碑がたっているのだそうですが、大学内には、この報国農場に関する記録が残って
いないとのことです。
 それに限らず報国農場というのは、国内二十九府県が満州に開いたそうですが、
この報国農場に関する資料は、ほとんど残されていないのだそうです。
「公的な資料はほとんど残されておらず、研究者もまったくいないというのが現状だ。
一例を挙げると『戦時農業政策資料集』という全六巻に及ぶ膨大な文献にも、満州
報国農場についての記述はない。つまり満州報国農場は、公的な歴史の中で空白と
なっているのである。」
 公的な歴史の中での空白というのは、そんなことはなかったということになりかね
ない昨今の状況であります。
 これの研究者でもある小塩さんは、一回目の文章を次のように終わっています。
「私が目にした一次資料のすべては、大学側ではなく、生還者が保存していたもの
である。」