読まなくては 3

 トニー・ジャネット「20世紀を考える」を、斜め読みしています。

20世紀を考える

20世紀を考える

トニー・ジャットさんはイギリス ロンドンで生まれますが、両親はともにユダヤ
とあります。祖父の代は、父方はワルシャワで、母方はサンクトペテルブルグの出身と
ありました。そこから転々として、イギリスに移り住むのだそうですが、一口にユダヤ
人といっても、多様なバックグランドを持っていることがうかがわれます。
 たとえば、次のような記述があります。
「わたしたち東方ユダヤ人、つまり東欧出身のユダヤ人のなかにはあきらかな序列があ
りました。(とはいえ東方ユダヤ人全体が、もちろん中欧のドイツ語を話す教養ある
ユダヤ人たちに軽蔑されていたわけですが)。おおまかに言うと、リトアニアとロシア
ユダヤ人は、文化的ならびに社会的地位の上で自分たちが優越していると考えており、
ポーランド(とくにガリツィア)とルーマニアユダヤ人は、丁寧に言えば、つつまし
い存在でした。この格付けは、私の両親の結婚をめぐる対立と、結婚によって広がった
家族全体にあてはまるものでした。わたしの母は、腹をたてたときなどは、父に、
あんたなんかポーランドユダヤ人のくせに、などと言ったものでした。そうすると父
は、お前こそルーマニア系だろう、とやりかえしたのです。」
 ユダヤ系にも序列があるというのを、こうして目にするのははじめてで、印象に残る
ことです。ユダヤ系のエリートというのが、「中欧のドイツ語を話す教養ある家族」で
あるのは、あきらかであります。
  トニー・ジャットさんの母は美容師で、父はそのお手伝いをしていたようです。
どちらにしても、学者をたくさん輩出した家系のイメージからは遠い一家です。
 父については、次のようにあります。
「戦争の勃発にあたって、父は軍に入ろうとしましたが、彼は適任ではないと言われて
しまいました。彼の肺は結核に冒されており、それは兵役免除のりっぱな理由となりま
した。いずれにせよ、彼はイギリス国民ではなかったのです。じっさいのところ、父に
は属する国がありませんでした。ベルギーで生まれたけれども、たんにベルギー住民と
いうだけで、国民ではなかった。当時のベルギーの国籍法は、国籍を申請する前に両親
がベルギー国民であることを要求しており、述べたとおりジョーの両親はロシア帝国
らの移民でした。ですから父は、『ナンセン・パスポート』を持ってロンドンにやって
きたのです。それは、当時の、国籍のない人たちのための旅券ですね。」
 「ナンセン・パスポート」とは国際連盟が発行した無国籍難民の為の、国際的な身分
証明書とありました。これは、現在は「難民旅行証明書」という形で引き継がれている
ようです。