読まなくては 2 

 図書館から借りている本の二冊目です。
 ほとんど読むことはできないだろうと思いながら、借りてきたのですが、まあ返す
前にすこしでもなかをのぞければよろしです。
 もともと、当方にはこの本で取り上げられていることに関しての予備知識がないの
ですから、まったく無謀な読書であります。

20世紀を考える

20世紀を考える

 この本を手にしたのは、タイトルが「20世紀を考える」ということで、自分が生き
ている時代に関するものであったこと、著者が1948年生まれとわずかに年長であるこ
とや、ALSという難病のために筆記することができず若い歴史家による聞き書き
あることなどです。著者が東ヨーロッパからイギリスにわたってきたユダヤ系であっ
たことも興味をひきました。
 聞き手をつとめたティモシー・スナイダーという方が、前書きでつぎのように書い
ています。
「本書が対話をもとにしているという性格のために、その著者たちはほかの何千冊も
の本に精通している必要があった。トニーとわたしは面と向かって対話していたわけ
であるから、文献を参照してチェックする時間などなかった。トニーはわたしが何を
質問するか前もって知ってはおらず、またわたしもトニーがどう答えるか前もって
知ってはいなかった。本書に収録された対談には、二人の精神が対話を通じて果断に
格闘した際の自発性、予測可能性、そしてときには遊びが反映されている。しかし、
全編を通じて、そして特に歴史にまつわる章においては、わたしたちの頭脳に収め
られた蔵書の力が必要であり、そして特にトニーのあり得ないほどに膨大で、きれい
に目録化されたそれの力に頼ることになった。
本書は対話の力を主張するものであるが、おそらく読書の力をより強く主張するもの
である。」
 まったくもってミーハーな門外漢でありましても、このような文章を見ますとひか
れても不思議ではないでしょう。
 著者は、この対談が始まった2009年1月にはまだ歩くことができていたのだそうで
す。それが春には、「彼の鼻と頭の大部分は呼吸器に覆われており、もはや機能しな
くなった肺に代わって呼吸を助けていた。夏にはわたしたちはトニーの書斎で、蔵書
にかこまれ、大仰な電動車椅子から彼がわたしを見下ろすといったかっこうで対談し
た。ときにわたしはその機械の操作を、もちろんトニーにはそれができないために、
行った。そのころにはトニーは、頭、目、声帯を除いて体を動かすことができなく
なっていた。本書を纏めるという目的のためには、それで十分であったのだが。」と
あります。
 どんな関心からであれ、こうして本を手にしてみるというのは、良いことでありま
しょう。最後まで読むことができればもっといいのですが、全部で600ページほどの
本でありますからして、苦戦は必至な状況です。