なんとか読了

 図書館から借り続けていた中村真一郎さんの「木村兼葭堂のサロン」を、なんとか
読了です。読む始めてから本日まで50日もかかってしまいました。中村さんは、これ
を書きあげるのに、何年もかかったわけですから、当方の能力では50日で読めるはず
もなく、読了というよりは、ページをめくりおわったというほうがあたっているとい
えるでしょう。本当の読みは、ここから始まるのだと思いますが、今回の本は図書館
本でありますので、これからしばらく手元において余韻にひたることができないと
いうのが残念です。

木村蒹葭堂のサロン

木村蒹葭堂のサロン

 この作品が刊行されたのは、作者の没後でありました。したがって、作者による
あとがきはないのでありますが、これを書き終えて、それまでの肩の荷をおろした
ような開放感を覚えたことでありましょう。
 この作品を読みますと、中村真一郎さんが木村兼葭堂主人とそのサロンへの思い入
れの深さに感動を覚えます。この作品の最後のほうにおかれた「サロン人 世粛」か
らの引用です。
「今や終点にとりかかって、もう一度、その長い道筋を振り返ってみた時に、一度、
分解してみせた彼の多様性の核をなすものは、やはり、『サロン人』としての存在で
あるように見えてきた。彼は生涯の間、ゲーテ的意味で、着々と樹木的成長を遂げて、
多くの方向に枝葉を茂らせたが、やはりその中心の幹は、『サロン人』である。
そして十八世紀後半の大阪ブルジョワジーの成熟も、彼『サロン人』として生きさせ
るのに、最適の時代であり地域であったと思う。
 そもそも、私が『サロン人』という、近代に外国から移入された言葉で彼を規定す
るのは、彼の生き方に文明世界全体に通じる、普遍的な概念を使って、その生涯を広
い文明世界の真中に引き出そうと、出発当初から意図していたからであった。」
 できることならば、兼葭堂が存在した時代に生まれたかったという中村さんの声が
聞こえてくることです。