本の処分についてですが、当方が持っている本で値段がついて売れるものは、どの
くらいあるのででしょう。単行本でありましたら、一冊10円くらいにはなりそうです
が、たいへんな思いをして持ち込んで10円というのであれば、誰かにもらってもらった
ほうが良さそうですが、貰ってくれる人を見つけるのがまたたいへんとなります。
そういえば、以前にほとんどお付き合いのない女性(知人の友人という関係)から、
これをもらってもらいたいということで、大切にしていたと思われる本を贈られたこ
とがありました。なぜ当方のところにでありますが、たしか次のようなことでありま
したでしょう。
その女性が体調を崩して、療養生活にはいることになり、当方の知人から何か本の
差し入れをしたいといわれ、当方がもっているものから、次のものを貸したことがあ
りました。
- 作者: 福永武彦
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1993/09
- メディア: 文庫
- クリック: 2回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
- 作者: 福永武彦
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1993/10
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログを見る
- 作者: 福永武彦
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1993/11
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログを見る
これをとっても喜んでくれて、その後に、古書で確保してお渡ししたように記憶して
います。
当方のところに貸してあった本が戻ってきた時に、これを受け取ってほしいといわ
れたと知人を介して届いた本は、当方は絶対にといってもいいほど手にしないもので
ありました。
- 作者: 立原道造
- 出版社/メーカー: 綜合工房
- 発売日: 1979/09
- メディア: ?
- この商品を含むブログ (1件) を見る
好きであったのでしょう。
この本に序を寄せた中村真一郎さんは、次のように記しています。
「私は福永が、立原の画集に解説を附するという企劃を聞いて、立原と福永の両方の
ために嬉しかった。二人とも私にとっては、生涯忘れることのできない、そして私自身
の青春期における自己形成に最も影響を及ぼした人である。・・・
生前の立原は、私の推奨にもかかわらず、頑として福永の仕事を認めなかった。
また若い福永も、私とは異って、立原のやわらかい日本語の、幾分ぎこちない新しい
表現や、又、ゆるい形式的感覚に対して、強い批判を抱いていたことは事実である。
定型詩の実験者である福永にとっては、立原の無韻、不定律の十四行詩を、ソネット
として受け入れることは、当然ながら不可能であった。
しかし、立原没後四十年にして、福永は立原のパステル画のなかに突如として、共感
をうながすものを発見し、そして自らすすんでその画集に解説の労をとろうとするとい
う。
私はこの生前、相会わぬまま相互に不信を抱いていた、私にとって最も大事な二人が
今、この画集のなかで相擁する光景を目賭するという、世にも稀な幸福な情景に、生涯
の晩年に及んで、立ち会うことができたのである。
いや、できた筈であると、つい昨日まではそう信じていた。
ところが、福永の病は突然に重篤を迎え、そしてそのまま世を去ってしまった。
彼はその生命と共に、私の待ち望んでいた美しい期待をもあの世に持ち去ってしまった
のである。」
中村さんによる文章は、1979年8月中旬に記されたとあります。福永武彦さんが亡く
なったのは、1979年8月13日のことで、この本の刊行は奥付には79年9月28日とありま
す。
この本を当方に託したかたは、数年前に亡くなられたのですが、なかなかこういう
いわれの本は捨てることができないことです。