本日は憲法記念日

 戦後70年というか敗戦70年でありますね。
「戦後、人々が民主主義政治だといって大さわぎしていることに、私は少しも同調す
ることができなかった。私にいわせれば、本質的には、そんなものは、ひとつの不手
際な真似事、見せかけの政治ごっこにすぎなかったのである。いわば猿回しに率いら
れる猿芝居も同然、仲間入りはもちろん真平だし、見ていると気が滅入りそうなたぐ
いの景観だった。肝腎な振り付けひとつ自分ではできないが、猿ども一座の宿命だっ
たのだ。そしてこの惨めさこそが、敗戦の瞬間、我々に約束された鉄の掟、おそらく
は今後何世紀かにわたって我々が多少とも悩み苦しまねばならぬ遺贈であったのだ。
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 日本のアメリカ化は必至なものに思われた。新しい日本とはアメリカ化sれる日本
のことであろう そういうこれからの日本に私は何の興味も期待も持つことはできな
かった。
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 その時から早くも五年、私の杞憂は不幸にして、悉く次から次へと的中した。その
五年間最も驚くべきことの一つは、日本の問題がOccupaied Japan問題であるという
一番明瞭な、一番肝腎な点を伏せた政治や文化に関する言動が圧倒的に風靡していた
ことである。このOccupaied抜きのJapan論議ほど間の抜けた、ふざけたものはない。
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 政治の化けの皮がはげかかってから、それを追求し、それに悲憤慷慨することは
たやすい。定めし、幕末志士の現代廉価版が、これからこの国土に輩出することで
あろう。というのは、わが日本は、いまや二度目に『尊皇攘夷』ないしは『尊皇か
攘夷か』の時代に足を踏み入れて来たようだから。だが、言い古されたことだが、
大いなる歴史的事件は二度繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は道化芝居とし
て。どうやら、その道化芝居がいよいよ幕を明けたようである。」
 長々と引用したのは、林達夫さんの「新しき幕明き」であります。発表されたの
は「群像」1950年8月号とのこと。中公文庫「共産主義的人間」ほかで読むことが
できます。

 日本政府はサンフランシスコ講和条約(正式名:日本国との平和条約)に調印し、
同条約は1952年(昭和27年)4月28日に発効し、日本は正式に国家としての全権を
回復したとあります。当方がうまれたのはOccupaied Japanでありますが、気分的
には、今も日本の権力者はOccupaied状態であります。
 戦争をしない国とするために押しつけた憲法が、いまはじゃまでしょうがないと
いうことで、こんどは友軍を護るための戦争は良い戦争だから、それは認めよと
いってきています。
 これに対抗するツールが押しつけられた憲法であるとすれば、押しつけけっこう
ではないかであります。