声低く語れ 

 「声低く語れ」というのは、林達夫さんの文章に引用されているミケルアンジェロ
の言葉で、「物曰ふなら、声低く語れ!」によります。これがエピグラフとしておか
れているのは林達夫さんの「新しい幕開き」という文章です。

 新しき幕開きというのは、世界大戦に敗れ、日本が占領下で出発したことをさします
が、この時に「人々が民主主義政治だといっておおさわぎしていることに、私はすこし
も同調することができなかった。」というのが、林達夫さんのスタンスであります。
 こうしたときに、林達夫さんの「心に素直にはいってきてなぐさめになった文章に、
たったひとつ川端康成氏の小さな感想文がある。」と記して、その川端さんの文章の
一部を引用します。
「私の生涯は『出発まで』もなく、さうしてすでに終わったと、今は感ぜられてならな
い。古の山河にひとり還ってゆくだけである。私はもう死んだ者として、あはれな日本
の美しさのほかのことは、これから一行も書かうとは思はない。」
 川端さんは、敗戦によって失われたものに殉じようとしたわけで、そうした気分に
ついて、林さんは、それに理解を示し、いまは浮かれているときではないというのと
同時に、「新しき日本とはアメリカ化される日本のことであろう そういうこれからの
日本に私は何の興味も期待ももつことはできなかった。」と記することになります。
 新しい幕開きに際して、洋学派の林達夫さんと文人 川端康成さんは、同じように
失われるであろうものへの思いから、この先に対して希望をもたないといったわけで
す。
 それからの戦後を、このお二人はどのように生きたかでありますが、川端さんは、
自らの路線をまもって、後年にノーベル文学賞をうけることになるのですが、この時の
講演のタイトルは「美しい日本の私」でありました。
美しい日本の私 (講談社現代新書)

美しい日本の私 (講談社現代新書)

 このタイトルって、最近目にしたようなことがあるなと思ったら、次の本ですね。
美しい国へ (文春新書)

美しい国へ (文春新書)

 どのみち、後者のほうは自分で本を書いているとは思えないのですが、後者の美しい
国というのは、川端さんのいう「あはれな美しい日本」と同じでしょうか。