書きこみをいただいて

 先日に図書館からG・オーウェル「あなたと原爆」を借りてきたと記しました

ら、この時代にはオーウェルの「書評ーアドルフ・ヒットラー著『わが闘争』」こそ

読まれるべきと「山鼻小学校」さんから書き込みをいただきました。

この書評は岩波文庫で5頁ほどのものとのことですから、これなら読むのも大変

ではないかと文庫本を探すことになりです。 

  これを記している時点では文庫本は見つけることができていないのですが、

かって平凡社からでていた「著作集2」に収録されていて、それで読むことがで

きました。1940年に書かれたものですから、日本では昭和15年となり、ちょうど

皇紀二千六百年」を奉祝していた頃です。

 ヒトラーはいまだ絶頂期にあったのでありましょう。

 ちょうどNHKドラマ「いだてん」が描いている時代であります。オリンピックを

利用するファシズムというのが、ベルリンから東京にかけてであります。

この時代もオリンピックを利用して権力を維持しようということでは、同じ状況で

あるかもしれません。オリンピック開催しようとする国のほとんどが大きな問題を

抱えていて、そろそろオリンピックは辞めたらどうかと声があがっても不思議な

ことではありません。

 「著作集」の「わが闘争」書評のすぐあとには、「F・ボルケナウ『全体主義

いう敵』」への書評が置かれていました。これもやはり短いものですので、さっと

読むことができてしまいます。(理解できるかどうかは別にして)

 オーウェルは「独ソ不可侵条約」について、次のように記しています。

「突然に、『人間の屑』と、『血まみれな労働者の虐殺者』(彼らは互いにこう呼

びならわしていたのである)とが、手に手を組んで行進をし始め、彼らの友情は、

スターリンが上機嫌で言った表現を使えば、『血のなかで固められた』のである。

・・・この二つの体制はまさに相反する両端から出発し、急速に同じような体制ー

一種の少数独裁的集産主義へと発展してきたのである。」

 相反する両端というのは、なんでもありの大統領とスターリンの再来かと思わ

せる人民共和国の主席を思わせることです。

 ボルケナウの著書へのオーウェル書評の結語は、この時代にも言えることです。

「今のように、現在の政治に関するほとんどすべての本が、嘘で塗り固めたものか、

愚劣きわまりないものかのいずれか、いやその両者を兼ね備えていることが多い

時に、彼の書物はこの地で聞かれる数少ない正気の声のひとつだったし。そのこと

はここ当分変わりなさそうである。」

 1940(昭和15)年の話です。日本では、この時代にどのような「正気の声」を

聞くことが出来たでありましょう。

 オーウェルよりも7歳ほど年長となる林達夫さんの「歴史の暮方」は1940年に

書かれた文章でありました。

 TVドラマの「いだてん」を見ながら、その脇にオーウェル林達夫さんなどの本を

参考にすることにいたしましょう。 

歴史の暮方 (中公文庫)

歴史の暮方 (中公文庫)