チャトウィン元年 5

 チャトウィンの「どうして僕はこんなところに」は、11の章からなります。
 目次を書き写してみますと、次のようなタイトルの章がならびます。
 1 友人たちと家族のために
 2 不思議な出会い
 3 友人たち
 4 出会い
 5 ロシア
 6 中国
 7 人々
 8 旅
 9 さらに二人の人々
 10 コーダ
 11 美術界
 旅行記またはルポのような文章と人物スケッチとなっていて、人物では有名な人も
とりあげられています。
 旅行記のようなルポのような文章では、「クーデター  物語 」というのがありま
した。最近でも世界ではクーデターが起きることがありますが、いまよりもずっと世界
が不安定であった時には、ひんぱんに起こっていたように思います。
「クーデターは日曜の朝七時に始まった。雲の垂れこめた風のない夜明けで、鉛色を
した大西洋の大波が浜辺と平行に長い線を描いて打ち寄せていた。満潮の水位に沿った
ヤシの木は、白波の向こうから吹き付ける冷たい風に震えていた。波頭の砕ける先、
海には黒いカヌーが出て漁をしていた。ノスリが市場の上高く旋回し、時々舞い降りて
はくず肉をさらっていった。肉屋は日曜も働いていた。
 クーデターが始まったとき、私たちはタクシーで隣の国にむかっているところだった。
海岸ホテルはもう過ぎていた。国家警察を過ぎ、マルクス・レーニン主義こそ唯一の
教え、と赤字で書かれた横断幕が弱々しくはためく下を通った。大統領官邸の前には、
バリケードが作られていた。兵士がタクシーをいったん止めたが、そのまま行けと合図
した。」
 84年に書かれた「クーデター」が起こった時、アフリカの小国で、それに巻き込まれ
る話です。これは国外に亡命している人たちが傭兵をジェット機にのせて、それで体制
をひっくりかえそうとしたのだそうです。このクーデターは失敗におわるのですが、
こういう国が、かってあったのですね。
「大統領官邸の外には、国家主席の巨大なポスターと、それよりずっと小さいレーニン
金日成のポスターが掲げられていた。」
 この国家主席は「ラジオでスピーチするのが大のお気に入り」とのことですが、
その内容は、次のごとし。
ベナンの人民諸君、容易ならざる事態が発生した。今朝七時、未確認のDC8型
ジェット機コトヌー国際空港に着陸した。傭兵が多数乗っていた模様である。黒人、
白人の別なく、国際帝国主義の手先どもに金で雇われた、見境のない輩である。
これはわれわれの民主的かつ機能的な体制を崩さんとする卑劣な企みである。」
 ベナンという国がどこにあるのか、わかっている人はすくないでありましょう。
 当方は、先日にTVをみていて、かってタレントであった人が、この国の駐日大使と
なっていると知って驚きました。その方は、空港での取材に応じて、自分は日本を
はじめとして十カ国の大使をかねているといっていて、その国のなかには朝鮮民主主義
民共和国がありました。ベナンは、この国とも国交を結んでいるのかと思いましたが、
この国の過去のことを思いましたら、しごく当然であります。
 ベナンは、チャトウィンが亡くなったあと1990年に人民共和国から、ただの共和国に
改名したとのことです。