1914年夏 10

 柏原兵三さんのエッセイからであります。作品集の第7巻は随筆が収録されています
が、そこに「疎開派の『長い道』」というのがありまして、ここにヨーゼフ・ロート
の言及があります。(発表は、「潮」昭和45年9月 )
 すこし長いのでありますが、関係するところを引用してみます。
「数年前に私はオーストリア・ハンガリー帝国の没落を華麗な筆致で描いたオーストリア
文学の傑作と称されるヨーゼフ・ロートの『ラデツキー行進曲筑摩書房刊)を訳した
が、その中で作中の主人公の一人カール・ヨーゼフが未来の死を夢見る次のような場面が
ある。
『彼は王室を構成している人々すべての名前を知っていた。彼はその人たちをみんな本当
に愛していた。子どもらしく熱中した心で。とりわけ皇帝を、慈悲深く、偉大で、気高
く、公正で、限りなく遠い存在でありながら非常に親しい、そして軍隊の将校たちには
特に好意を持たれている皇帝陛下を愛していた。軍楽を聞きながら皇帝陛下のために死ぬ
ことこそ最高の死であった。ラデツキー行進曲を聞きながら死ぬのだったら死ぬことは
どんなにたやすかっただろう。
すばやい弾丸が音楽の拍子に合わせてカール・ヨゼーフの頭のまわりをびゅんびゅんと
掠めた。彼のサーベルの白刃がきらめく、そしてラデツキー行進曲のやさしい速度に心も
頭も満たされて、彼は行進曲の太鼓がかもし出す陶酔のなかへ沈み込んだ。すると彼の血
が深紅の細い一条となって、トランペットの光輝く黄金の上にティンパニーの漆黒の上に
シンバルの勝利に輝く銀の上にしたたり落ちた。』
 この部分を訳出しながら、私は少年時代の自分がこの状況に共鳴するような時間を多く
もっていたことを今さらのように思いだした。私は陸軍幼年学校に進学するか、少年飛行
兵になるつもりでいた。戦争が早く終わるとすれば、幼年学校、士官学校と進んで軍人に
なるのでは遅すぎるから、少年飛行兵になった方がいいかも知れない、などど真剣に
考慮したこともあった。
 そして少年飛行兵になったら、祖国の運命に殉じて死地へ赴くつもりであった。
死は崇高なもの、永遠に栄誉につながるもの、ロマンティックなものとして、未来に輝い
ていた。」