1914年夏 8

 朝日新聞夕刊でシリーズ連載している「サラエボ100年をたどって」の本日掲載分
の見出しには「私はヨーロッパ人だ」とあります。
 サラエボは特に民族が複雑に入り組んでいまして、本日に「私はヨーロッパ人だ」
と発言している人は、歴史に翻弄されていることがわかります。
当方が子どものころは、サラエボはチトーがたばねる「ユーゴスラビア」を構成する
地域であったのですからね。百年間で国の形が変わらないところと、頻繁にかわる
ところがあるということがわかります。頻繁にかわるところの人は、「ヨーロッパ人」
というしかなくなりそうです。
 そうした中で、その地域に住み続けることができた人と「追放された人」でありま
す。いちばんたいへんであったのは、ロートやツヴァイクのようなユダヤ系の追放さ
れた人でありましょう。
 ロートの作品が何作か岩波文庫にはいったのであれば、ツヴァイクの「昨日の世界
岩波文庫にはいっていいだろうよと思いましたです。
その昔は日本でもツヴァイクは人気があったようで、みすず書房からは二度にわたっ
て全集が刊行されたはずです。当方が学生の頃には、ツヴァイクの箱にはいっていな
い、ソフトカバーの全集が刊行されていまして、当方はこのなかから、数冊を購入し
たように思います。「昨日の世界」をどうして購入するようになったのか、今は思い
だせませんが、どなたかがすすめているのを見たからでありましょう。
 ロート「ラデツキー行進曲」が翻訳をした小説家 柏原兵三さんと結び着いて記憶
に残っていたとすれば、「昨日の世界」の翻訳者 原田義人さんであります。
原田義人さんで検索すると、「1960年7月、教授昇任の後、8月、42歳の誕生日直前に
死去。その最期の様子は友人であった加藤周一の『続羊の歌』に詳しい。」とありま
して、どうやらこの筋からであるようです。
たしか篠田一士さんの「現代イギリス文学」(垂水書房)は、原田義人さんにささげ
られているはずです。
 ロートは44歳でなくなり、柏原兵三さんは38歳、ツヴァイクは60歳でなくな
り、原田義人さんは41歳。戦争の影響もあるでしょうが、それにしても、皆さん
若くして亡くなったことであります。