1914年夏 7

 ロートにいわせると「永遠の放浪者における故里=オーストリア帝国」ということに
なります。ロートはハプスブルグ家の皇帝のことを崇拝していて、故里といっている
わけではなくて、オーストリア帝国の他民族性・多様性を、故里といっているようです。
 岩波文庫聖なる酔っぱらいの伝説」の解説で池内紀さんは、「皇帝の胸像」につい
て次のように書いています。
「ここには古い政体への回帰以上に、それが保持していた他民族性の意味が語られてい
る。オーストリア君主国自体がミニ・ヨーロッパであって、たいていの人が『わが家』
にさまざまな国をもちあわせていた。・・・そのような意味深い超国家的国家を、
民族自決』の名のもとに惜しげもなく消滅させた歴史の愚かさ。その際、さまざまな
イデオロギーが語られたが、力ずくで切り取り、国境を引き、分割したのは、せんじつ
めると、同じ血、同じ髪、同じ種族の『わが家』を確保するためではなかったか?』
 「ミニ・ヨーロッパ」としてのオーストリア帝国が解体されるのにあたっての挽歌
であります。これを目にしてツヴァイクの「昨日の世界」を想起するのは、当然であっ
たのかもしれません。
 池内さんの解説にもツヴァイクが登場します。
「ヨゼフ・ロートはもっとも早いころにナチズムの危険を嗅ぎとり、鋭く批判してきた
一人だった。・・第一次世界大戦の敗戦国とされたドイツにあって、とめどない不況と
失業者を背景に、超過激派政党がみるみる支持者をふやしていく。・・・
 誰よりも早くヨゼフ・ロートはナチスイデオロギーの危険を語った。・・反ナチス
の者、とりわけユダヤ人にとって亡命は避けようがない。彼は亡命といわず『追放され
る者』と呼んだ。生きるための条件を根こそぎ奪われたことを明確にしておくためで
ある。
 同じユダヤ系の国民的人気作家シュテファン・ツヴァイクは、経済的困窮に陥った
ロートに何度となく援助の手を差しのべた。」
 「国民的人気作家」とありますから、ツヴァイクは経済的に余裕があったのであり
ましょう。ロートはナチスに支配されるまえに国を捨てて放浪者となり、ツヴァイク
は、恵まれた生活にあったために、国をすてるのが遅れてしまったとあります。
 ロートはパリで亡くなり、ツヴァイクははるばるのがれたブラジルで亡くなった
わけです。
 本日にブラジルといえば、ワールドカップサッカーの決勝戦が最大の話題でありま
すが、今回のワールドカップ大会を通じて一番印象に残っているのは、選手たちが
試合前にかかげた横断幕にあった、次の言葉であります。
「”Say No to Racism”」、これは「人種差別にNoを」という意味になりますが、
当方は、はじめて目にしたと思っておりましたが、いまほど検索してみましたら、これ
は2006年のワールドカップの時以来のテーマだそうです。
 ドイツ大会から、このテーマがはじまったというのは、上に引用した文章ともあわ
せて見るときに納得することであります。ドイツも移民問題で大変でありまして、
だからこその”Say No to Racism”です。
 ヨーロッパの主要国は、ECを構成しているのですが、これって「昨日の世界」の
復興であるのかもしれません。