1914年夏 11

 柏原兵三さんが引用するロートの小説「ラデツキー行進曲」の「軍楽を聞きながら
皇帝陛下のために死ぬことこそ最高の死であった。ラデツキー行進曲を聞きながら死ぬ
のだったら死ぬことはどんなにたやすかっただろう。」というところは、柏原さんが
いわゆる少国民時代に思っていた「そして少年飛行兵になったら、祖国の運命に殉じて
死地へ赴くつもりであった。死は崇高なもの、永遠に栄誉につながるもの、ロマン
ティックなものとして、未来に輝いていた。」というのと重なることです。
 「死は崇高、永遠に栄誉」と子どもに感じさせるのは教育の成果でありますね。
それ加えて子ども向けの雑誌や映画などが拍車をかけるのでした。
ラデツキー行進曲」も兵士たちを鼓舞し、死ぬ事は怖いと思わせないという役割も
あったのでしょう。(ウィーンフィルニューイヤーコンサートのアンコールで聞く
と、平和でそうは感じないのですが。)
 そんなことを感じていましたら、本日の新聞に、次の記事であります。
「1945年3月、召集令状を受け取り、僕は『いよいよ一人前になった』と思った。天皇
陛下のために死ぬのが日本に生を受けた人間の責任だと。そんな教育ばっかり受けとった
わけだから。
 去年、特攻隊を描いた小説『永遠の0』を2度読んで泣き、映画館に足を運んで3度目
の涙を流した。その後、この作品を描いた百田尚樹氏が反戦ではなく、強い日本という
正反対の方向を向いているとわかって幻滅ですよ。泣いたことをすごく後悔した。」
 このように語っているのは、野中広務さんであります。最近は、ほとんど自民党政権
からは声がかからなくなっているとのことであります。そういえば、数年前には、それ
までであれば考えることのできない共産党の「赤旗」に登場して、当時の政権を批判し
ていました。
『永遠の0』は泣ける映画なのでしょうが、百田さんの仕掛けにまんまとのせられるよう
なことは避けなくてはいけません。あまり純でいて、あとでだまされたといっても遅いの
であります。
 本日の新聞の野中広務さんの最後のところです。
「政権批判するたび『売国奴』などといわれて、家族を含めて大変な目におうてきた。
けど、僕がいわなければ誰がいう?戦争が繰り返されたら、我々世代のつらい経験は
『無』になってしまう。あの戦争で亡くなった人々の無念さを伝えなければ、死んでも
死にきれない。」
 野中さんも、いまの自民党からすれば「追放した者」であるのかもしれません。