1914年夏 9

 当方の中では、ヨーゼフ・ロートという名前を聞くと、彼の作品を翻訳した柏原兵三
さんのことが浮かんでくるのでありました。
 柏原さんの代表作「徳山道助の帰郷」が発表された前年に、ロートの「ラデツキー
行進曲」の翻訳作業を行っていて、「この前年度の翻訳が完成への一つの牽引力となっ
たのではないかと推察される。好きな作品を翻訳することは、自分の創作への多大な
刺激になる、とよく聞かされていたから。」と、「徳山道助の帰郷」の担当編集者は
柏原さんの追悼記に書いています。
 最近は柏原さんのことが話題になることも少ないようですので、作品集のページを
開いて、ロートについてふれていうところを引用してみることにしましょう。
 まずは「ホテルの話」(昭和44年7月〜9月「NHKドイツ語入門」)という文章から
です。
「日本ではまだ余り知られていないが、戦後ドイツで再発見され、最近高い評価を受け
ているヨーゼフ・ロート(1894〜1939)というオーストリア人の小説家がいる。この
作家は新聞の特派員という特殊な職業のせいもあったが、生涯確たる住居を持たず、
ホテルからホテルに住む根なし草のような生活を続けた。だから彼の作品の大部分は
ホテルの一室や、ホテルの食堂や旅先のレストランやカフェーで書かれたものだと
いわれている。その作品の一つに『ホテルサヴォイ』という中篇小説がある。東欧の
ある町のホテルに吹き溜まりのように集まって来た長期滞在客の哀感を描いたなかなか
すぐれた作品だが、旅先のホテルの一室で愛読したためか私には忘れがたい。
 彼はヨーロッパの各地に常宿を持っていて、その常宿を家庭のように愛した人だが、
どんなにホテルとそこで働く人々を愛したかは、ホテルに関して彼の書いた一連の滋味
あふれるエッセイを読むとよく分る。ロートの愛したようなホテルは、古きよき時代の
ホテルなのだろうが、そうしたホテルはヨーロッパでは今でも案外健在なのではないか
という気がする。しかし私の泊り歩いたホテルは、ロートの泊ったホテルよりももっと
安いホテルだったから、これは私の推測に過ぎず、体験から割り出した結論ではない。」
 「聖なる酔っぱらいの伝説」の池内紀さんの解説には、ロートが亡くなった時、
常宿としていた「ホテル・トゥルノン」の建物には銘板がはめこまれて、そこには、
ロートが「1937ー39年、オーストリアの作家ヨーゼフ・ロートがここに住んだ」と
あります。ちなみにこの「ホテル・トゥルノン」は、「星なし、いうところの安宿であ
る」だそうです。
 「追放された者」にふさわしい宿でありますか。