いつも心に 3

 ナンシー関さんが健在であったとき、当方は週刊朝日週刊文春も読んでいなかった
のでありますからして、ほとんど遅れてきた読者であります。手軽に入手できるように
なった文庫を手にして、ナンシーの世界になじんできました。
 ナンシー関さんが、友人のご主人となったえのきどいちろうさんのすすめで世にでた
というのは承知しておりましたが(http://d.hatena.ne.jp/vzf12576/20070609)、
 ナンシーさんが接した最初の編集者がいとうせいこうさんであったとは知りませんで
した。「評伝 ナンシー関」には、えのきどさんの談として、「(関さんを売り込んだ
先の)いとう君は、当時講談社の『ホットドック・プレス』の新人編集者でした。」と
ありました。 
 これは1985年くらいのことです。えのきどさんはフリーのライターが所属する事務所
に関係していたのだそうですが、この時代のフリーライターの活動の場は、「ホット
ドック・プレス」のほかには「週刊プレイボーイ」「スコラ」「GORO」というような
男性誌とあります。いまから30年ほど前は、雑誌の時代でありました。発行部数も今
とは一桁違っていて、「ホットドック・プレス」は50万部前後出ていましたとあり
ます。
 当方は、この時代にどのような雑誌を見ていただろうかと思いだしていました。
「ホットドック・プレス」は、平凡出版からでていた「ポパイ」を意識した雑誌と
いう記憶がありですが、ほとんど手にしたことがありませんでした。
ともだちのともだちのライターたちが、スペースをもらってともだちのことを話題と
しているので見てくださいといわれて立ち見をしたくらいでありましょうか。
ごちゃごちゃとした紙面で、垢抜けしていないようにも思えていました。
 当時よく見ていた雑誌は「クロワッサン」と「暮らしの手帖」でありまして、どちら
ナンシー関とは縁遠いものでありました。