新潮「波」6月号 5

 彫刻で家族を養うのは、どれほど大変なことであるのかということが、舟越父の書き
残したものからうかがえます。安易な妥協はしないと決めて、制作に打ち込むと彫刻家
の妻の生活費工面もたいへんであったことでしょう。
 舟越母は、たしか裕福な家庭で育ったかたであったはずです。母の姉妹かが函館の
老舗洋食店に嫁いでいて、そこが舟越作品を購入して生活を助けてくれていたようで
す。この老舗洋食店のマッチには舟越父のデッサンが使われていますし、店内には
舟越作品が多く展示されています。舟越父が名前を残すことができなかったら、親戚の
彫刻家の作品でというようなコメントが必要であったでしょうが、今は必要がなしで
ありましょう。
「デザインを買って欲しいと頼みにいったところ、大変な嫌み」をいった方も、あの
時に買っておけば、今はお宝になっていたのにと残念がっているかもしれません。
 しかし彫刻作品などを、売る時にはどうするのありましょう。縁故である場合には、
もちろん画商を通す事もなしでありますね。
舟越父の「大きな時計」には「くび」というエッセイがあります。
「彫刻作品で、頭部だけの作品を、ふつうには『首』と言うことが多い。
 あれは、間違いやすいことから、『頭像』とか『頭部』と言わなければならない。
 それでも、よほど気をつけないと習慣で、うっかり『くび』と言ってしまう。
 ・・・・
 先輩の彫刻家Hさんは『少女の首』という題名の彫刻をある会社に持ち込んだら、
題名が悪いと断られた、と言っていた。
 そんなこともあって、私は『首』と言わないで『頭像』ということにしている。
 展覧会では、頭像がよく出陳される。・・・
 戦後、間もないころ、私は上野の展覧会に出品するので、大理石で作った『頭像』を
白い布に包んでタクシーに乗った。
 途中で、お巡りさんの不審訊問にあった。私の座席を覗きこんで、お巡りさんは
『それは何だ?』と白布の包みを指さした。
『首です』と答えて、私はしまったと思った。お巡りさんの顔がひきつって蒼白になっ
た。ドアから顔をはなして身構えた。
『明けてみろ』と怒鳴られた。」
 なんとか「頭像」でありましたら、自分で持ち運ぶことができるようであります。
このようにして会社に持ち込まれたのでありましょう。当方が確認した範囲でありま
すが、この街には舟越父の作品が二点あるようです。一つはあまり人が立ち入ること
のないオフィスのVIPフロアにおかれた大理石の頭像、もう一つは総合病院のロビーに
おかれているブロンズの頭像です。

 この病院は製紙会社の関連のものでありますので、末盛さんが感謝していたように、
ずいぶんと舟越父の作品を購入していたようです。今となっては大変なお宝でありま
すが、病院に来ている人たちは、そのことをご存知であるかどうかです。