山の子供 4

 王子製紙の北海道千歳川発電所は、近代化遺産として貴重なものでありますので、
どこかにこれをとりあげたものがあるはずと思って検索をかけてみましたら、以下の
ページがありました。
 http://www.asahi-net.or.jp/~re4m-idgc/CHITOSEHATSUDEN.htm
 近代化遺産とはいうものの、この発電所は発電を開始して百年たっても現役でありま
して、それだけに文化財になったりはしないのです。( それにしても、このところの
発電事情の不安定さを考えますと、この水力発電所というのは、極めて安定している
ことがわかります。)
 ここでの暮らしについては、畔柳さんよりも35歳ほどお若い人が、次のように記して
います。戦後のまもなくからの話ですが、山の中のくらしとはいえ、大企業の社員と
その家族でありますから、生活はむしろ周辺の農村地帯よりも豊かなものでありまし
た。
 http://www.city.chitose.hokkaido.jp/shishi_hp/paper/sikotsu09-01.htm
 
 すこし先を急ぎすぎたようです。畔柳二美さんが千歳川発電所で暮らしたのは、
1920年頃までの8年間のことですから、大正時代のことです。
 畔柳さんの時代には、発電所の貯水池のある上には九軒の社宅、発電所のある下に
は二十軒ほどあったということです。あわせても三十軒にもならない集落であると
いうのに、ここには学校があったとのことです。
発電所のある下の社宅、ここはほとんど電気関係の人々と、他に会社の私立小学校
の先生が二人なので、下の発電所の主任さんは、もっと上品な言葉で話した。
私立小学校は、その前年に、発電所から三百米ほど右に離れた川岸に新築され、上の
社宅と下の社宅の子供たちが一年から高等二年まで、合計二十名ほどの生徒が通学
していた。
 上の社宅から下の発電所までは、五百米ほどで、下り坂の三間巾の道が大きく
曲ってついている。」
 この時代には単身赴任なんて習慣はありませんでしたので、会社は私立の小学校
を開設したのですね。こういう時代であります。