ひとつの自伝

 先日に仕事帰りによったブックオフで、次の本を入手しました。
 以前からその店にあって立ち見をしていたのですが、安くなったのを機にめでたく
購入となりました。

青春の終わった日――ひとつの自伝

青春の終わった日――ひとつの自伝

 清水真砂子さんといえば「ゲド戦記」の翻訳者として著名でありますが、この方の
半生記であります。「ゲド戦記」のことは、ずっと気になりながら、いまだに読むこ
とができずに、現在にいたっています。それよりも先に、清水さんの半生記を手に
するというのは、もちろん児童文学者 清水真砂子さんが生まれるにあたっての過程
に興味をもったからであります。
 この半生記に登場する人物は、ほとんどすべてがイニシャルで登場するのでありま
す。T姉、K姉、M兄という具合であります。
 小中学校の恩師なども、K先生、S先生、O先生というふうでありました。
「M先生はおじいさんだった。担任が休んだ時にはクラスに来てくれたかもしれないが、
私は覚えていない。何をしていた先生だったのか。学校では偉い先生ではなさそうで、
それだけは子どもの私にもわかった。先生はやせていた。いつもにこにこと気弱そうで、
でも、いてくれたなら、と思う時にはきっと校内のどこかにいてくれた。私はM先生には
遠慮せずに何でも言えた。」
 「村の小学校を卒業すると、それっきりM先生のことは忘れてしまい」とあるのです
が、後年になっても、印象に残る人であったようで、この方くらいイニシャルでなくて、
名前の表記があってもよかったのにと思われます。 
 この「ひとつの自伝」にでてくる登場人物で、イニシャルではなく実名ででてくる
数少ないお一人が生涯の恩師ともいえる方になります。