世間の人 8

 鬼海さんの先生は、ユニークな哲学者として有名でありました福田定良さんであり
ました。ちくま文庫「世間のひと」のあとがきは、福田先生への感謝が綴られていま
す。当方は、鬼海さんの随筆集を読んだことがありませんでしたので、この文章で
鬼海さんと福田さんが師弟であったことを知りました。 
 昨日に引き続きで、鬼海さんのあとがきにある、福田先生のおしえを引用であり
ます。
「先生の地味で地に足を着けた考え方や話し振りに接しているうちに、学習や考える
ことが苦手だったのに、いつの間にか、恩師の『哲学のすすめ』のマジックにかかって
しまった。しかも厄介なことに、人生で一番ぜいたくな『あそび』は表現することだ、
という錯覚が勝手に刷り込まれてしまった。
 今から振り返ってみればその突拍子もない思いつきは、わたしの単なる自信のなさ
やコンプレクスが反転した居直りだったかもしれない。
 むろん、何を表現したらよいのか見当もつかなかった。当時ようやく、福田哲学の
マジックで、ものを考えることや、人に結びつくことの面白さを感じはじめたばかり
だった。
 卒業すると、その得体の知れない『何か』を探そうと、とりあえずトラックの運転手
や工場の臨時雇いなどで過ごした。映画にまだ魅力を感じていたが、何年か経つうち
に、仕事としては自分の能力をこえたものだと感じるようになった。」
 福田定良さんで検索しますと、「戦時中は徴用労働者として南方戦線に投入され、
その体験記『めもらびりあ―戦争と哲学と私』を1948年(昭和23年)に発表する。
1970年(昭和45年)に学園闘争で法政大学を辞職する。その後、だれもができる哲学を
主張し、生活者の感覚に根ざした哲学を追求した。」とありました。
 これにあるように福田さんは、カントやヘーゲルの研究者ではなく、自分の言葉で
哲学を語ることをモットーにした先生でありました。
「哲学のすすめ」などたくさんの著作があって、当方も一冊は持ってあるはずですが、
これが思った以上に難しかったという記憶があります。