ひとつの自伝 4

 清水真砂子さんの「ひとつの自伝」と副題がついた「青春の終わった日」を手に
したのは、清水さんが高杉一郎さんの教え子と知っていたからであります。
もともとどうして知るにいたったのかは覚えてはいないのですが、高杉一郎さんが
亡くなったときにも、弔辞を寄せていらして、それは「高杉一郎 追想」に収録さ
れています。
 とはいうものの、「ひとつの自伝」で高杉一郎さんとのことが書かれているのは、
あわせてもわずか十ページほどのことであり、全体238ページからすると決定的では
あるもの、ほかにも印象に残るところは多くありです。
 この「ひとつの自伝」の最初のところにおかれているのは、清水さんが四歳でむか
えた敗戦と、その当時に住んでいた北朝鮮 文坪・元山からの引き揚げについての話
であります。
 北朝鮮の元山とは、どのあたりなのかも当方はわかっておりませんでした。いま
ほど検索をかけて、つぎのページで確認することができました。そういえば、この
地図には古山高麗雄さんが住んでおられた新義州の地名も見えました。
( http://w01.tp1.jp/~a076379471/genzan/histry.html )
「 私には中国の残留孤児の写真が新聞に載り始めた頃から、両親が十七歳から二歳
までの五人の子供を連れて北朝鮮から帰還できたということがほとんど奇蹟のとしか
思われなくなっていたのだ。中国の残留孤児たちの写真を見るたび、私は自分もまた
この中にいても不思議ではなかった、と次第に強く思うようになっていた。」
 一家五人で元山から三十八度線を越えるまでの旅程は、本当に小説よりも奇なりで
ありますが、こうした現実は、戦後の外地からの引き揚げ家族の多くにあったもので
しょう。