購読継続の手続きを

 お天気がいいので午前から庭で草取り作業をすることになりです。

地面の草はそこそこ取り除くことができまして、あとは芝に顔をだしている

草を取り除くだけですが、これは次の週末の作業となりです。

 3時間半ほど仕事をしたところで郵便屋さんが配達に来てくれて、それで

仕事を切り上げて、郵便のチェックです。本日は岩波「図書」と「みすず」が

届きましたです。

 「みすず」の封筒には「購読継続のご案内在中」とスタンプが押されていま

した。小沢信男さんの「賛々語々」も終わったことだし、継続ねどうしようか

と思いながら開封をして、見ましたら表紙に「小沢信男『賛々語々』遺稿」と

あるではないですか。

 ちょっとまってよであります。小沢さんは急に亡くなった印象があるのです

が、みすず「賛々語々」の連載を軸に仕事をされていたはずですので、最後に

取り掛かっていたのも「賛々語々」でしょうから、これの遺稿は残っている

だろうなと思っておりました。

 その遺稿をこのようにして目にすることができるとは、ありがたしです。

ちなみにこの遺稿についての編集部の付記が泣かせます。えいやっとこの部分

を引用させてもらいます。(一部省略しています。)

「ここに掲載するのは小沢信男さんの没後に夫人によって発見された遺稿(

ファイル名「賛々語々121 花吹雪」)。 

 三月三日午前十時ごろ、『げんげ忌』世話人でもある西田書店の日高徳迪

氏に小沢さんが入院先の病院からノートパソコンを届けてほしいと携帯電話

で依頼してきたのは、締め切りの日の迫っていた本稿を仕上げるためだった

と思われる。昼少し前、コロナ禍で面会謝絶ながらパソコンは届けられたが、

その十二時間後に亡くなられた。ちなみに百二十回目の原稿が送られてきた

のは二月四日。メールには『そろそおrもうパタリと倒れるかも。お含みお

きください。多年のご交誼、ありがとう」と結ばれていた。

 「賛々語々」ほか収録の小沢信男著『暗き世に爆ぜ』(仮題)は小社より

八月刊行予定です。」

 「みすず」の締め切りが何日であるのかはわかりませんが、小沢さんは

二月は四日に原稿を送信しているということですから、三月も同じように

と思い連絡をして、それからまもなく亡くなったとわかりました。

 心配されていた「賛々語々」の未収録部分については、みすず書房が拾遺

してくれるということで、初盆までに間に合いますでしょうか。