建築家つながり 7

 最近でも辞表を懐に入れて業務にあたっている公務員さんもいるのでしょうが、その
方々は、なんとなく上昇志向と野心にみちているように思います。そうした公務員さん
たちは、公務員らしくないとか、スーパー公務員とかいわれてもてはやされるのですが、
それにあきたらずで、選挙にうってでるか、権力闘争に巻き込まれてしまったりするの
であります。どこであってもお役所つとめというのは大変であるようです。
 市役所勤務時代のことを回想して、次のように記しています。
「市役所では、ここを舞台に生きとし生ける人々の縮図を垣間見る思いでした。亡く人、
笑う人、怒る人、嵩にかかる人、人間模様の坩堝でした。しかし仕事のうえでは、これ
ら俗世間の利害損失を超越し、商業主義に毒されることもなく、極端に切りつめられた
予算のなかで、いかにして理想に近づけるか、建築の神髄に肉薄しうるか、純粋の気概を
保ちうるのか、このことに腐心すれば良い。身は貧しくとも心は充ちたりておりました。
 私にとりましては、まさに試躍所でありました。」
 1960年文藝春秋誌での「建築家十傑」に選出されるのですが、これはちょうど市役所
勤務から独立する頃のことです。ほかの9人は有名な方ばかりでありまして、松村さん
だけが場違いな感じを受けます。
 まさにスーパー公務員でありますね。
八幡浜市役所にはいってからも、外国雑誌は読んでいた。市長助役に高い教養があっ
てのこと。出費を私一人の為に惜しまれなかった事に感謝のほか無い。・・相談相手
もなく孤独な地方の暮しでは外国雑誌は親しい友の代わりをした。中央の建築運動には
全く無縁であったが、外国雑誌は自分の考えと力量を確かめる唯一の手がかりで
あった。」
 地方で自分の信じるところに従って仕事に取り組むのですが、これでいいのかと悩む
ことでありますでしょう。
「私のような身勝手な者が、よくまあ仕事がつづけられた。さいわい、たのんで下さる
方が人格あり見識あり純真無垢であった、その信頼に応えたいと精いっぱいの努力は
おしまなかった、と自負しています。この間に世の中、人の心は、向上したとは思いま
せん。・・・
 私が敬遠して止まぬ人種、建築家、学ある人に倫理は地に堕ちたと指摘されても恬と
して恥じられない。それどころか多弁であり、天賦の才能ひけらかし、自作は完全無欠
と思し召す。自分の名を挙げるに急なあまり、公が、これまた知性とぼしく先見の明
なき輩、彼らが企てる箱物に加勢する。箱師か箱屋に成り下る。」
 こう言い切る方が残した建物が重要文化財となったのですが、時代を切りひらいた
高名な建築家の設計した建物への後世の評価はどうなるのでありましょうか。