みみずく先生 7

 みみずく先生ということで由良君美さんの本を話題にしていましたら、当然のことなが
ら、この話題は四方田犬彦さんの「先生とわたし」ではどのように取り上げられていたの
かと思うのでした。何度が読んでいるはずでありますが、すっかり忘れてしまっていて、
そのつど、そうだったのかと新しい発見であります。
 今のところ、由良さんについて知りたければ、「先生とわたし」のまさるものはなしで
あります。当方が思い込みで駄文を綴っていて、これを確認するとちょっと違っていたな
んてことがあったりします。または、曖昧であったことが、はっきりとするということも
あるのです。
 5月9日に「ボストン美術館に通って、収蔵される曽我粛白の逸品を直接収蔵庫に入れ
て見せて戴き、丸一日かけて肉眼でわたしは精査したが、五十数点の所蔵を誇る
ボストンだったがはやり偽作はあった。」というくだりを引用していますが、これについ
て四方田さんの「先生とわたし」では、「日本美術史家の山下裕二は、かって奈良県
美術館に寄贈された由良哲次のコレクションを調べたことがあった。雪舟蕭白の収集品
には贋物が少なくなく、どうしてこんなセンスのものを手元に置いておいたのだろうと
呆れるものもあるが、ときおり狂女図のようにピカリと光る名品が混じっていたりもする
という」
なるほど粛白作品のコレクションというのは、やはり御父上のものでありましたか。
御父上の葬儀には、ボストン美術館館長から弔電が届いたとありますが、御父上のことに
ついてもたいへんくわしく書かれているのでした。
 「先生とわたし」の関係よりも「父とむすこ」のほうが、複雑なことであります。
 四方田さんの「先生とわたし」には、みみずく先生が私淑した平井呈一さんとのこと
が、つぎのように紹介されていました。
岩波文庫サッカレーの訳がきっかけとなって平井呈一を訪れたのも、この時期であ
る。平井は和菓子屋を営みながら、アカデミズムとは無縁にイギリスの怪奇小説をコツ
コツと翻訳することに無上の喜びを感じている人物だった。・・
 由良君美は生涯を通じて、この職人気質の翻訳家に敬意を忘れず、1970年代中ごろに
牧神社が設立されると、ド・クインシー著作集をいっしょに翻訳しようと声をかけた。」
 この時代に平井呈一さんのことが話題となるのも、「先生とわたし」のおかげでしょう
か。(平井さんで検索をかけると、荒俣宏さんがお弟子さんとでていました。)