東映ゲリラ戦記 5

「ちくま」誌上で鈴木則文監督の「東映ゲリラ戦記」という連載が、すでに6回となっ
ています。
「ゲリラ」ということばは、次のくだりで登場します。
「B面(B級プログラムピクチャーともいった)映画監督の面白さを自由に展開できる
<ゲリラ製作>が手に入ったともいえるが、様々な雑務も押し寄せてくる。」
 B級プログラムピクチャーという言葉は、いまでもありのような気がしますが、B面
映画というのは、最近は死語でしょう。A面、B面というのは、かってのシングル
レコードの表と裏に録音された楽曲を表現するのに使いましたですね。最近の方は、
ほとんどレコードを自分でターンテーブルにのせて、針を落とした経験はないかもしれ
ませんが、LPではなくてシングル盤(EP盤ともいいました。)も、ヒット曲の時
などは、片面ばかりを良く聞くということになりました。たまには、両A面とか、B面
の曲のほうがはやってしまったなんてこともありましたが。(佐藤正午さんの「sideB」
小学館文庫というのも、競輪に打ち込む、もうひとりの自分について書いているのでし
た。)
 むかしの映画上映システムというのは、二本立てというのが一般的でありました。
 鈴木則文さんの文章から引用します。
「二本立て興行を堅持する東映では、メインの鶴田浩二高倉健等の男性やくざ映画
A面とすれば、添えもの作品(B面)には、あまり重くない女がらみの映画が理想の二本
立てカップリングである。
 梅宮辰夫と緑魔子の夜の青春シリーズや夜の歓楽街を背景にした歌謡シリーズなどの
女風俗ものがその役割を果たしてきていた。」
 もともと当方は、ほとんど「やくざ映画」には関心がないのでありますので、ここに
あります梅宮辰夫と緑魔子の夜の青春シリーズは、まったく見た記憶がありません。
 こうした添えもの作品が注目をあびたのは、まったくの新人女優を「衝撃のポルノ
女優」として主役に抜擢し、売り出したからであります。撮影された1971年当時に
「『ポルノ』という言葉は世間に一般化されておらず、文学、絵画、写真等の官能表現の
一分野として<ポルノグラフィー>という言葉が存在しており、知る人のみが知るいわば
異端の業界用語であった。」とあります。
 ポルノという言葉が一般的でなかったわけですから、お上の規制もたいへん厳しかった
わけです。
「一般映画なので、映倫から厳重注意を受けた。が、それはすでに覚悟の上である。
『温泉みみず芸者』も成人指定を主張する映倫に、平身低頭、ひたすら揉み手のおべん
ちゃらで乗り切ったのだ。地方の館主からのつよい要望があり、女もの軟派ものは是非
欲しいが十八歳未満お断りの成人指定は勘弁してくれ、理由は県によって地方条例が
やたらに厳しくポスターは映画館内のみで町中には張り出せず、新聞も二本立てのもう
一本として成人映画としか表記することができず、宣伝がかなり限定される。
 映画の主たる観客は若者である。好奇心旺盛な十代は絶対にはずすことは出来ない。」
 ちょうど、この時期の当方は十代から二十代への移行期でありました。こちらは田舎で
高校生活をおくりまして、すこしおくてでありましたので、ちょうど鈴木監督が発した
次のようなメッセージを受け止めるようになったのです。
「わたしは池玲子主演の作品の観客のターゲットは現役の高校生であり、不良であろうが
なかろうが十代女子への応援歌であり青春映画にしようと決めていたからである。」