角館という町 2

 当方が角館にいったのは、古い手帖を見てみましたら1994年10月のことでありました。
その時に、この角館がアララギ系の歌人 平福百穂さんにゆかりの町であるとは知らな
かったと思います。町を散策していて、記念館を見つけて、この平福百穂さんがここで
生まれたということを知ったのでありました。
 亡父がアララギによっていたため、当方は門前の小僧のごとくでありまして、父の
書架にならぶ歌人たちの本の背表紙をながめて成長しました。一番多くあったのは、
斎藤茂吉さんのものでしょうが、これは作品数とは、刊行数が多いのですから当然で
ありましょう。特別な位置をしめていたのは、土屋文明先生のもので、亡父は斎藤茂吉
さんよりも、文明先生を歌の師匠としていたのでしょう。なんとはなしに、門前の小僧
である当方も、あらたまって記するときは文明先生というようになっているのでした。
 そのようなアララギ派歌人の著作がならんでいるなかに平福百穂さんの作品もありま
した。しかし、亡父の書架には歌集があったにもかかわらず、今年の1月になるまで、
平福百穂さんの著作を手にすることはなしでありました。(昨年に高田浪吉さんに言及
したときに、亡父の書架にある本を引用しましたが、今回もまたであります。)
 平福百穂さんは、まずは画家であります。その代表的な作品は見たことがあるはずで
すが、記憶に残っていません。当方がなじんだのはカレンダーにおいてでありました。
雑誌の表紙を飾った絵を、カレンダーにしたてたのが「婦人之友社」から販売されてい
ました。そのカレンダーの最終ページには、次のようにあります。
婦人之友の表紙は活字ばかりを並べた素朴なものであったが、もっと多くの人に読ん
でもらうためには、多少変化のあるものにしたらどうかということになった。そのころ
の婦人雑誌の表紙といえば、女の顔を大きく描いたものばかりであった。いろいろ考え
た末に、立派な画家に頼んで、その月々の風物を描いてもらったらよかろうということ
になり、かねて知り合いの平福百穂氏にそのことをお願いすると、快く引き受けてくれ
て、ちょうど初夏の季節であったので、露のこぼれそうな薔薇の花をかいておくられた。
 当時の画壇の花形といわれた平福百穂氏の清新な気にみちた本誌の表紙画は、一大異彩
を放ったのであった。平福氏ほどの大家が、20年にわたって一雑誌の表紙画を描き続け
られたことは、画壇にも珍しいことであろう。」
 1953年婦人之友4月号によせた羽仁吉一さんの「回顧50年」からとあります。
 婦人之友社のカレンダー(2006年のもの)から、この季節らしいものをいかにはりつ
けることにいたしましょう。
 平福百穂 「紅梅」 1918年(大正7年)二月号のもの