新本屋でバーゲン本

 行きつけの本屋に岩波文庫の新刊が入荷しなくなって、しばらくたつのですが、かって
岩波新書岩波少年文庫、同時代ライブラリーなどが入荷して、なかなかよろしで
ありました。目の保養となって楽しいのですが、なかなか売れずに、背表紙が変色して
棚にさらされているのを見るのは、気の毒に思ったものです。岩波文庫を求める客は、
この店には何人かはいるのでしょうが、地方の小都市でありますので、数はそんなに
多いわけはありません。
 この店も、これじゃやっていけないということで、岩波の新刊の入荷をやめたのです
が、買い切りで返品がききませんので、背表紙が変色したものはどうしましょうであり
ます。
 今年に入って、ワゴンのなかにバーゲン本のコーナーができまして、そこに岩波の
ブックレットと同時代ライブラリーが二十冊くらい、あと少年文庫が数冊ありました。
同時代ライブラリーは、平凡社ライブラリーと同じようなサイズのもので、これは文庫
サイズよりも文字も大きくて好みでありました。岩波は、早々にこのシリーズをよして
しまって、「現代文庫」を立ち上げることになるわけですが、棚としては文庫サイズの
ほうがおさまりはいいものの、読みやすさではライブラリー版が上でしょう。
 とりあえず、ワゴンにはいっていた二十冊ほどの中から、当方がもっていない本を
5冊ほど購入しました。新本ですが、一冊二百円ですから千円ということになります。
 本日の話題は、その時に購入した、次のものからです。

 昨日にすこし話題にした狩野亨吉さんは、若くして「京都帝国大学文科大学初代学長
(現在の文学部長に相当)。内藤湖南幸田露伴ら正規の学歴がない民間学者を京大に
招き、波紋を呼んだ」とあるのですが、学殖があっても正規の教育を受けていない人が
帝国大学などで職を得るというのは至難のことで、それは内藤湖南とか露伴クラスでも
そうでありました。(牧野富太郎さんも万年講師でありましたからね。)
 「学問への情熱」を読んでみて一番感じたのは、学問は好きであっても家が貧しく
正規の教育を受けることができなかったことで、人の何倍も努力をし論文を発表しても
なかなか認められないことの辛さでありましょうか。
 野心まんまんでありますのでひとつ間違えると、過去に話題となった東北の旧石器の
ゴッドハンドとなってしまうのですが。
 直良さんは、あちこちで「学歴のない私」といっていますが、最後には大学教授に
つくことができました。
「私は三十二年七月、早稲田大学から学位を与えられた。文学博士の学位であった。
 早稲田大学理工学部に所属する私が、同じ大学の文学部から学位を与えられるに
ついては種々のいきさつがあった。私の立場の微妙さを物語る話である。
 学歴のない私は学位でもとっておかないと教壇から離れなければならないことに
なるかもしれない。それは学究生活の上ではなはだ困ることなので、私は農学でもいい
から、学位をいただきたかった。それだけに、学位を与えられた日は、地に足がつかな
いほど喜んだ。
 戦後、二重、三重の苦しさの中でがんばった甲斐があった。」
 いまから50年ほど昔の学歴のない先生は、最近の学歴はあって業績のない先生と同じ
ようたいへんでありました。