このところ、週末の新聞の読書欄は三紙、目にしているのですが、
これはと思うものが、何週かにわたって続いたようです。土曜日の
朝は新聞を見るのを楽しみにしているのに、空振りになるのはつらい
ことです。
さて、本日はどうだろうかと思って朝に起き出して配達された新聞を
手にして開いてみましたら、一番大きくスペースが取られているところ
に、「制度・流行になびかぬ在野の系譜」という見出しがありまして、
次の2冊があがっていました。
もう一冊は、編集グループSURE「自前のメディアをもとめて」で
田村紀雄さんのものとなりです。
この2冊をあわせて取り上げているのは、生井英考さんとなります。
この書評の書き出しは、「『在野』ということばが、誇らしく、輝いて
見える時代があった。」であり、最後のくだりが「見出し」につかわれ
ていることになります。
在野ということからは、もともとは官立大学などに所属していないと
いうことだったのでしょうが、いまでは大学とかに所属していないことを
さすのでしょう。
学歴とか大人の事情で、大学に職を得ることができずに予備校教師など
をしながら研究を続けている人が、当方が思う在野のイメージです。
うんと昔であれば、牧野富太郎とか熊楠、湖南なんて人が思いつくのです
が、この本で話題となっているのは、もっと身近な話となりです。
当方などは、この「在野」に「アマチュア精神」とふりがなをふりたく
思います。
生井英考さんの結語を引用です。
「『在野』が輝いて見えたあのころ(70年代)は、『野』が圧迫され、
社会の管理が進む時代だったのだ。
その流れに抗し、易易と制度にも流行にもなびかなかった在野の知性の
系譜を、いま私たちは絶やしてはなるまい。」
その昔にときの総理は、曲学阿世の徒と学者さんを非難しましたが、
いまや曲学阿世の徒は、大きな顔をして政府の審議会メンバーになったり、
国会で参考人となっています。ほんととほほな時代となりました。