小沢信男著作 141

 「新潮45」の94年5月号に掲載された小沢信男さんの文章は、副題として
「『芦原将軍』の明治・大正・昭和」とあります。すこしこれに寄り道をすることに
いたします。この時代の「新潮45」に何本か寄稿しているのですが、ほかのものは、
すぐにでてきません。
 この文章の冒頭部分を引用してみます。
「むかし芦原将軍という男がいた。むかしといっても大昔ではなく、没年は昭和十二年。
生前は日本国中に轟きわたった有名人なのである。
 それがとんと忘れられた。おおかたの人名事典や近代史書にも載りもしない。しかし
探せばさすがにこの人物にかかわる論評の類が、ないことはない。
 山田風太郎『人間臨終図鑑』は、古今東西の著名人九百余人の臨終の様子を人物辞典
風に描いた一種の奇書だが、その『八十七歳で死んだ人々』の章に、東郷平八郎や柳田
国男とならんで、将軍が登場する。」
 これに続いて、山田風太郎さんの「人間臨終図鑑」からの「芦原将軍」の引用がある
のですが、昭和のはじめの大有名人であったことには、違いありません。
種村季弘さんの「アナクロニズム」に、出久根達郎さんの「古本奇譚」に、筒井康隆さん
の「将軍の目醒めた時」などに、本人または本人がモデルとなると人物が登場するのだ
そうです。舞台でも森繁劇団が榎本滋民作の「葭原将軍」を公演したのだそうです。
もちろん主演したのは森繁久弥さんであります。
 芦原将軍についての小沢さんの文章のなかほどからの引用です。
「日露戦勝の栄光の時代は、裏返せば戦後恐慌による失業と自殺激増の煩悶の時代で。
日韓併合、大逆時代と、明治四十年代は息詰まる大ニュースがつづく。
 こういう狂った時節にこそ芦原将軍の怪気炎に人々は息抜きをおぼえたか。
巣鴨といえば芦原将軍、芦原といえば誇大妄想と、日本中が条件反射的に連想して、
呉院長の名は知らずとも将軍を知らぬ者はなく、名声は東郷・乃木の次ぐらいには
高くなった。・・・
 当時、巣鴨病院に、スター候補は将軍ひとりにかぎらなかった。・・そんな大物たちも
いながら、結局、将軍ひとりが人気を博した。なぜか。
 第一に彼はつねに慨世憂国の人で、勅令、令旨、勅語の類を、けっこうトピック風に
出しつづけた。自筆もあるが多くは副官たちに書かせたので、文体字体の巧拙は時期ごと
にさまざまだった。」
 今の時代も「芦原将軍」のような役割を担う人を求めているのでしょうが、この時代に
あっては、TVなどのメディアが、そうした役割をになっているのでしょうか。